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J’irai étudier à l’université de Lausanne

今年も、あと一ヶ月弱で終わる。2019年は、私にとっては大学三年目の年で、それは一年目とも二年目とも全く違う年だった。前年二年のあいだに出会い、大切だと信じて側に置いていたいくつかのものが、私の元から離れていった。泡立つ白い波がふわりと押し寄せてきて、私は嬉々としてそのなかに入っていったけど、気が付いたら私を覆っていたはずの水はもうどこにもなくて、むき出しの、濡れて黒く湿った地面に一人で立ち尽くしていた。

自分で手を下したにせよ、私にはどうすることも出来なかった場合にせよ、どちらにしても結局は大事なものや人がいなくなってしまった喪失感が減るという事にはならない。寂しかったし、毎日に奥行きと手触りがなくなった。昨日と今日の境目はなく、来る日も来る日も一瞬一瞬が殆ど信じられないようなスピードで指の間をすり抜けていった。掴もうとしても、全然だめだった。 そんな毎日に焦って、私は何とか今身を置いているこのひとつひとつの瞬間を自分に取り込もうと必死になった。浮かんだ言葉は文字にした。美術館に通い詰め、狂ったように映画を観て、それ以外の時間は全て読書とフランス語に当て込んだ。小説、映画、絵画。それぞれの作品のなかで、目いっぱい自分を表現し続けた人たちの鮮烈で真っ直ぐな思惑が、ひたむきな息遣いが、動けずにいた私には暴力的なまでに刺さった。カラフルで、雄弁で、ザワザワしていて、ドバドバ降ってきた。

たぶん、私は自分の問題ときちんと向き合いきれないうちに色んなものを急激に取り込みすぎたのだと思う。様々なやり方で表現された他人の機微に触れるたびに、訳が分らなくなってきた。その中のどれもが正解な気がするけど、各所で唱えられていることの根本的な内容はそんなに多くのレパートリーは無かった。そして徐々に、人の作品に接することに疲れてきた。みんなそれを自分なりのレトリックや温度でオリジナルの角度から表現しているけど、そのオリジナルさえも結局それぞれがこれまでに触れてきた、誰かが生み出したものの集積なんだから…なんて考え出したら本当によく分らなくなってしまった。

そんな日々を過ごしているうちに、ちょっとした変化が起きた。ふと気がついてみると、波と一緒に流されずに私の周りに残った、気を抜けば見過ごしてしまいそうなもののひとつひとつが生命を持ち、自分で立って歩き、私にあれこれ語りかけてくるようになっていた。
水色と夕暮れの狭間の空の色や、雨あがりの濡れた夜の深さに何度もハッとさせられた。誰かが昼間に発した何気ない言葉を掌に載せてそっと持ち帰り、家に帰ってからその言葉の文字通りの意味合いと、その言葉の持ち主のなかでの意味合いの微妙な色の違いにふと気が付き、その人が少しだけ近くなったような気がしたり、その逆の印象を持ったりした。些末な日常の風景が急にざわつき始め、それまでの真っ白な生活が一気に賑やかになった。

 ちょっと前まで動けずにいた私のなかには、いつのまにかたくさんの体験が集積していた。ひとつの季節が過ぎ去ってしまう時に感じるノスタルジーも、晴れの日に抱く幸福感も、それはただの過ぎていく日常の一構成要素なんかでは全然なくて、どこかで知っているような気がするのはきっと、これまで読んできた本の中で既に出会っていたからだと思う。

私が小さな美しい流れに沿って歩き出すと、その径にずっと笹縁をつけている野苺にも、ちょっと人目に付かないような花がいっぱい咲いていて、それが、ある素晴らしいもののほんの小さな前奏曲だと言ったように、私を迎えた。

これは、堀辰雄の「美しい村」の一節だ。
木漏れ日や川の水面に反射する光の粒や、そういう世の中にあふれるキラキラしたものに気が付ける人は、きっとたくさんいる。では、そういうものに対して抱く親密で温かい気持ちをこんなに美しい文章で表現できる人は果たして何人いるだろう。きっと、それはそんなに多くない気がした。だからこそ、その道のりは長くても、このような言葉に会いに行くのはきっととても大切なことなのだと思うし、こうした表現にたくさん自分を会わせたうえで世界を見るのと、そうでないのでは見えるものが随分違うだろうな、と思った。私は今後、もし春先に散歩するような時があれば、きっと堀辰雄のこの作品を思い出すと思う。なんでもない世界にある様々なものが、深いところで慣れ親しんだことのある、名前を持った存在として自分のなかに息づいていく。ここまで考えたとき、どれほど不毛でも、様々な作品に触れる意味や細かいものが私の中で急に立体化した理由がすこしだけわかった気がした。

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一年生の時から、バリバリ英語を使って海と太陽のカリフォルニアに留学するのが一番の目標だったのに、いつの間にか海なんてひとつも無い、二重内陸国のスイスでフランス語やることになってた。いろんなものを吸収するのに本当の意味で前向きな今このタイミングで留学決まって、本当に嬉しいな。

#留学 #フランス語

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