手話ができる人
あの人の弟は耳が聞こえないらしかった。
だから小さい頃から弟のために手話ができ、通訳として駆り出されることもあったらしい。
人のために頑張れる人だった。
人から貰った恩を強く感じて、何倍も大きくして返すような人だった。自分のためには動けなくても、人のために忙しなく働いていた。お会計の時は誰よりも早く財布を出していた。
良くも悪くも自分のことにはネガティブで、他人のことにはポジティブな、そういう所が僕と似ていた。
一緒にいると少し背筋が伸びるような、僕はそんな畏れを持っていた。だからこそ、対等に話している時は足が地につかない感覚があった。
随分歳上のあの人は、短い期間で目まぐるしく変わっていった。それは周りにとってはきっといいことで、変化が怖い僕にとっては悪いことだった。
あの人はもう遺書を書いているらしい。それがとても気になって、何となく僕のせいのような気もして、それがとても悲しかった。
もし生まれ直すことができれば、あの人と同じ歳で、同じ場所で生きられたら、どんなに美しいかと何度思ったか。きっと僕も手話を覚えただろうし、あの人の何人もいる兄弟達とも上手くやれると思う。
もし、もし、色んなことが噛み合っていたら。世界は何もかも、タイミングだと思う。何もかも、噛み合っているような、そんな生まれ直しができたら。
噛み合っている部分に目を向けられないのは、自分のことにネガティブな、僕のそんな所が出ているんだと思った。