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南総里見八犬伝異聞 上総館山邪宗門【逆噴射小説大賞2022】

 この夜こそ、源金太素藤にとって最大の転機であった。京でクソ親父がやらかした所為で、気侭な山賊人生を送れると思っていたらあれよあれよという間に夜逃げ同然の体で坂東の端っこまで来てしまった。おまけに安房上総を治める里見とやらは随分な仁君で、仕官も悪行もやりにくいと来たものだ。

 それが、たまたま神主もいない神社で野宿していたら、流行病の治療法がご神木の精と疫病神の会話から盗み聞き出来てしまった。ご神木の洞に溜まった水に金を一昼夜漬ければ疫病退散のご神水の完成だ。

 これがあれば、民の信頼を勝ち取り、金貸しも出来る。ゆくゆくは一国一城の主も夢じゃない。源金太素藤は必死に息を殺し、ご神木の精と疫病神の会話の邪魔をしない様気配を消していた。元は胆吹山の山賊の若大将、これ位訳も無い。そろそろ神霊同士の話し合いも終わりそうだ。その時だった。

「待たれよ、土地の者ども」

 明らかに異様な気配だ。ご神木の精や疫病神なんか目じゃない位濃密な畏怖を感じさせる何かが来た。見るな、見るんじゃない、見ない方が良い。だが見たい、あれを見たい、見た方が良い。理解不能な二律背反に混乱したまま、源金太素藤はそれを見てしまった。

 コウモリだかネズミだかよくわからない顔つきで、ヒキガエルみたいにでっぷりと太り、タヌキかイタチの様に全身にびっしりと黒い毛を生やした何かが輿に乗ってやって来た。輿を担ぐのはコウモリガエルをそのまんま小さくした奴と、真っ黒いどろどろの何かだ。源金太素藤は完全にコウモリガエルに圧倒されていた。だが同時に源金太素藤は奇妙な懐かしさを感じていた。

「我は蟇田大神、又の名を素唾喰である」

 源金太素藤は思い出した。蟇田、それは歩き巫女であった母の姓であり、母が崇めていた神の名だと。

【続】

(731字)

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