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Flower of HOPE

“Buena Vista(いい眺め)!”
なぜだかその言葉が浮かんだ。
ゆっくりと遠ざかる、青く美しい惑星は
新しい一日の始まりを示す白い光に縁どられ、輝いていた。
「おはよう、地球。今日もきれいだね」
いつも通りの挨拶を、思わず口にする。

宇宙ステーションでの船外ミッションの途中、事故に遭った私は
糸の切れた凧のように宇宙に放り出されてしまった。
その絶望的な状況にも拘らず、「まあ、家族のいる他のクルーでなくてよかったよな」と他人事のように落ち着いていた。
そして、初めて眺めた時と同じ感動をもって
おそらく最後になるこの美しい景色を眺めている。
海の青、大地の緑、渦巻く雲の白。
“Adiós, mi estrella.(さよなら、私の星)”
ああ。なんてきれいな星なのだろう。


きっと目の前には噂どおり「お花畑」が広がっているのだろうな、と
半ば投げやりな期待と諦念で目を閉じた私が次に見たのは
思いもよらない光景だった。
開いた目の前に、青白い顔をした全身青い人が立っている。
顔色が悪い、という意味の「青白い顔」ではない。
文字通り、色標本通りのペールブルーだ。
そうか、宇宙人か。
ベタな映画やアニメーション通りじゃないか。
虚ろにも見えるダークブルーの二つの眼が、まっすぐにこちらを見ている。
「私は助かったのか」
「ワタシハ タスカッタ」
ん?通じたのか、それともオウム返しに返されただけなのか。
「あなたは誰だ」
「…」
「私は地球から来た。助けてくれてありがとう」
「ワタシハ トオイホシ カラキタ コノフネノ ドクター。
タスケルノハ トウゼンノコト」
通じた。意思疎通ができるのは彼らの文明が進んでいるからなのだろう。
瞬時に翻訳できるようだ。
何度かやり取りしているうちに、一人称の「わたし」はあるが、二人称の「あなた」がないということに気づいた。不思議な文明もあるものだ。そう思ったところで意識は途切れた。

どのくらいたったのだろう。
目を覚ますとやはり目の前にはペールブルーの彼女(彼かもしれない)がいた。
妙に軽い体を起こし、周囲を見回すと、青白い部屋に一つだけ窓があることに気づいた。
窓の外は見慣れた星の海だ。
地球からどのくらい離れてしまったのだろう。

「私はどうなるのかな」
独り言のようにつぶやくと、
「ワタシハ ドウシタイノ」
ダークブルーの瞳が問いかける。
「ワタシハ カエリタイノ」
帰りたい、のだろうか。あの星に。

そもそも、地上にいたくなくて、宇宙飛行士に志願したのだ。
紛争の絶えない母国から亡命したものの、その国に居場所などなかった。
「国境のない世界が見たいから」と言い繕って、宇宙に来た。
地球に帰ったところで、待つ人もいないのだ。
このまま、彼女の星に連れていかれるのも悪くないかもしれない。

「私の 星のことを 教えてくれ」
「ワタシノ ホシノコトヲ オシエテ」

同時に同じ言葉を発し、私たちは一瞬目を丸くし、そして笑った。
ああ、宇宙人も笑うんだ。
それから、私たちは語り合った。それぞれの生まれ育った星のことを。

彼女の名前は「ソーダ」というそうだ。
それは私の星の飲み物の名前だということ、そして彼女の髪や肌の色がその飲み物を連想させるのだ、というと、「色」って何?と彼女は訊いた。
色とりどりの花や動物、虹やオーロラについて説明を試みたが反応が芳しくない。
「たとえば、私とソーダは肌の色が違うだろう」
彼女の美しい青い腕に私の黄みがかった茶色い腕を並べてみせた。
首をかしげて彼女は言う。
「チガワナイ」
そうか。彼女には色の区別がつかないのだ。
もともと識別しないのだから説明のしようがない。
彼女の瞳が「星の瞬く夜空の色」だと説明すると、ようやく納得してくれた。
そして、私の目も同じ色だ、という。
そっと肌に触れてみる。
体温も、肌の弾力も、同じだ。
彼女も私に触れる。
耳を引っ張り、両手で頬を包む。
思わず、唇を重ねると、少し驚いた顔をした。
「これは 親愛のしるしだ」
慌てて言い訳した私の言葉を、彼女は繰り返した。
「コレハ シンアイノ シルシ」
彼女は私に、小さな粒を握らせた。
彼女を抱き寄せようとしたそのとき、
ゆっくりと沈むように体が傾いでいくのを感じた。

そうだ、なんとなくわかっていた。
これはすべて夢であると。
酸素ボンベの残量がわずかになり、脳への酸素の供給が途絶え、私は幻覚を見ている。
いわゆる「走馬燈」は一瞬で人生を振り返るものだと思っていた。
そんなものよりよっぽどましじゃないか。
戦火に逃げ惑う人々が傷ついて倒れる光景、石を投げつけてくる冷たい視線、そんなものじゃなくてよかった。
ソーダ、私の最後の夢に現れてくれてありがとう。
涙で歪む視界の中で、青く揺れながら彼女が問う。
「カナシイノ?ナゼ?」
私は悲しいのか?
涙は溢れて止まらないが、不思議と心は満たされている。
「旅が終わる。やっと終わるんだ。ああ、疲れた…うちに帰りたい…」
「ツカレタノナラ ネムレバイイ」
ペールブルーの優しい死神が、そっとキスをくれた。
ふわり、温かい光に全身が包まれ、やがて眩く白い帳が、静かに下りた。


100年前の宇宙ステーションの事故で行方不明になった男が奇跡的に生存していた、というニュースが地球を驚愕させた。
宇宙デブリとともに回収された謎の白いカプセルの中で、歳も取らず眠り続けていたのだ。
男が握りしめていた一粒の種が咲かせたカスミソウに似た花は、人々によって“HOPE”と名付けられたが、意識を取り戻した男はその花を「ソーダ」と呼んだ。

ペールブルーの美しい花だ。

↑こちらの音楽からインスピレーションをいただき、勝手にファン・ノベルを書いてしまいました。私の小説はいまいちですが、こちらの音楽は素晴らしいので、是非!

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