『普通』は〜の普通って
『普通さ〜』
わたしが今日まで生き
経験してきたその中での
スタンダードでしかないのに
守らないと死ぬの?
くらい言われてきた言葉(笑)
だから
『自分の物差しで人のことをはからない』
って価値観を大切にしてきたが
これは超超難しい
一度受け入れ、理解しようとする姿勢がいる
例えば
地元から出ずに
地元の人と過ごす人生と。
地元を離れ人の集まる外へ出て
価値観がぶつかり合う場で
過ごす人生。
これには自分の物差し問題が絡むし
合う、合わないもでてくる
私は確実に後者の正解のないぶつかり合いに
胸が高鳴りぶち上がった女だけれど
それは私の家族のかたちや性格や暮らし方に
物心つく前から
イレギュラーが発生していた結果で
当たり前と思って投げられる
心無い(と言った方は気付くことすらない)言葉に
何度もガラスのハートをぶん殴られた
その結果でしかない
当たり前が存在せず
ぶつかり合える方が何倍も安らいだ
このイレギュラーだった生い立ちが
幸せか不幸かすら
それは私が決めることであって
誰かに意見を求める必要もないことだと
これが腑に落ちるまでもがいてきたから
今は凄く(わたしの基準で)幸せな家族を
つくれている
この世界に普通があるとすれば人間は
目が2つ鼻が1つ口が1つ
ってことくらいか?なんて考えながら
ひとの目や意見なんてものは
わたしが幸せに
生きるうえで全然大切じゃないなと鼻をほじる
(ほじらない)
自分を大事に思ってくれている人の意見は
ありがたく受け止めるけれど
最後の決断は常に自分
それをしないとみるみる不幸になるから
何に強烈な幸せを感じ
何が死にたくなるほど嫌で
何をこの人生で達成したいか
((極力何もしたくない。))
って思っている時期があってもいい
これは自分の中にしかない答え
ハッキリさせるために
日々選択して舵取りしていく必要が
あるよねぇ〜って話
嫌だと思うことにはNOを
やりたいと思うのならYESを
だって〜、でも〜、
の後に続く言葉は大したことじゃない
人生は急に好転したりはしない
ね、普通に大事な話でしょ
(笑)
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