宗教三世 3

幼少期からの違和感が嫌悪感にかわっていった反抗期。

子どもの頃、両親からの
「信心しないと不幸になる」説は
反抗期を迎えた私にはなんの説得力ももたなくなっていた。
逆に
そんな両親を持つ私は、不幸だとも思っていたし
こんな宗教も信用ならんと思っていた。

病院に連れて行かないなど、子どもに対しての対応がちょっとどころかオカシナ両親は
信心してようがしていまいが、確実な毒親であり子どもからの信用は皆無になっていたのだ。

私はこんな宗教を信じている両親の子どもだ。
その事実ですら嫌で仕方なかった。
私は私を嫌いになっていたし、両親が大切という感情を今でも持てないでいる。

小学生の頃は集会などにも強制的であれ出ていたが
中学生になり全くいかなくなり、仏壇の前にも座ることすらしなくなった。
高校を卒業し結婚。子どもが生まれて産後実家に帰ったが、やはり仏壇の前に座る両親の姿。

初めての育児で寝不足、ノイローゼになりかけていた。
そこでも祈る母親。
寝不足、ノイローゼになりかけている娘を背に祈る母親だった。

その後自宅へ戻りワンオペでの育児がスタートし、数年後離婚。

離婚後、待ってましたとばかりに信心しないからだと押しかけてくる親戚。

「今日は地区の偉い人をつれてきたから」
偉い人、と言われても…。

信心してないから、こんなことになった。
信心すれば救われるから。と
知らない人を連れてきては【折伏】される日々。
あなたの名前を書いて仏壇に供えてると言われ恐怖を味わった。
仏壇に名前の書いた紙を供えて祈られる私。
さすがにもうやめてほしい、こないでほしいと懇願し、数ヶ月後には来なくなったが。
こなくなったと思えば
【新聞とるだけでも幸せになれるから】
と無理やり読みもしない新聞をとらされ、数年後にやっとの思いで解約にこぎつけた。
数年間、ずっとゴミにお金を払っていた。
お人好しなのか
押しに弱いのか
断ると悪いかなと思ってしまう自分も嫌いだった。

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