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母との記憶 踏み荒らされた価値観

教育虐待という単語を知ったのはここ半年だ。
はじめて知ったとき、
「ああ、これだ」
と思った。

精神科に通い、カウンセリングを受け、
ストレス性抑うつ症
境界性パーソナリティ障害の傾向
そう言われても私の中で「虐待を受けた」とは断定して言葉にできず、内心そうだと思って親を恨む自分に罪悪感も消えず。
その状態になって10年以上。

実際、そんなことを親に抗議などしたら、母は怒り狂い私を罵ることは容易に想像がつく 笑
母の教育に対する言い分はこうだ。

あなたたちが選んだ。決めた。
私はそれを全力で応援した。
あなたが医者になりたいと言うから、それを目指す最低ラインはこの学校だった。
医者になるならあの成績ではムリなのに、それでもあなたは医者になりたいと言うから全力でサポートした。

ちなみに医者になりたいと言ったのは小4か小5位の頃だ。
包み隠さず言うならば、幼稚園で将来の夢は「やさしいおかあさん」「おはなやさん」「けーきやさん」と言っていたのと同レベルの夢であった。
さらに言えば、兄が博士と言うのをなんだか喜んでいる母を見て、「じゃあ私はお医者さんになりたい!」「人助けをしたい!」という理由だ。

成績が足りず大学の進路変更をするまで医者と言い続けたのは、ただ引っ込みがつかなくなっただけである。
母が喜ぶならなんでもよかった。
絵を描くことを母が「くだらない」と言わなければ、私は絵を描いていたかった。
自分を言い聞かせるように「絵を嫌いにならないために仕事にはしない」と言った。

それらを母は真にうけた。
誤解を避けるために言うが、「絵を描く仕事がしたい」という言葉はしっかり否定されている。
要するに、母にとって価値ある言葉は聞き入れ、価値のない言葉はなかったことになっている。

絵を描くことに関しても、絵画には価値がありマンガには価値がない。
だから私は漫研に入りたいとは言えず、美術部に入るがすぐに辞めた。そしてわがままと言われた。

歳の離れた兄がマンガやラノベを読むことを軽蔑して罵る母を見ていたので、マンガをはじめて読んだのも中1である。
抑圧されただけに熱中し、お小遣いを全て注ぎ込んだが案の定軽蔑された。
そして隠れて読むようになった。

勉強の合間に隠れて読む。
子供部屋をノックもせずに開けられるので見つかり軽蔑される。
通学の電車の中、歩きながら、ひたすらのめり込む。
机の中のマンガを指摘される。

そんな状態であった。
ちなみに母はプライバシーの大切さをよく語っていた。
現実はというと、子供部屋は相部屋のため扉が2つあり、1つが私の勉強机で潰されていた。
つまり、扉を開ければすぐ私の机を横から覗き込む形になるため、プライバシーを守る意思があればその扉は閉め切ってもおかしくない。
閉め切りたいと訴えれば「やましいことがあるからだ」となるのだ。

「家族とはいえ他人。
引き出しの中を覗くようなことはプライバシーの侵害だ。」
という母の実際の行動はというと、私の机の引き出しに隠されたマンガを見つけて罵る、というものだ。
はじめて文章にしたが、理不尽さにいっそ笑えてきた(´∀`)

お金をどちらかというと貯金に回すほうで、お年玉は全て貯金し毎月のお小遣いでマンガを買っていた。
使いすぎて前借りなど、兄弟と違ってそんなことは一度もしていない。
自分のお小遣いを好きに使うことさえ、母の価値に合わないものは気に食わないのだ。

誕生日やクリスマスのプレゼントに関していうと、お金の苦労を散々聞いていたため、小学校の途中から欲しいものを言わず親に任せるようになった。
欲しいものが予算オーバーならどうしようなど色々考えて、何が正解なのか分からなかったからだ。

それでも中学生のとき、なにか絵画が欲しいと思った。
毎年特定の欲しいものもなく親に任せるくらいならと、数年先までまとめてでいいから絵画が欲しいと頼んだ。
なんなら、もうそれで終わりでよかった。
そして画廊に連れて行ってもらった。

なんとなく気に入った絵があった。
絶対にコレというわけではないが「コレがいい」と言った。
すると、暗いからという理由で却下された。
そして母が推す絵に決まった。
母は誇らしく嬉しそうだった。

別に母の選ぶ絵が気に食わないわけではない。
今も気に入って飾っている。
私が選んだものが暗いのも理解できた。
結果として選んだ絵は正解だったのだろう。

しかし、私は自分で選びたかったのだ。
自分で選んで「もっと明るい絵を選べばよかったかも」と後悔して押入れにしまい、大人になってから売ってしまってもよかった。

絵を見るたび、母のセンスの良さを感じると同時に、その母に否定された自分の好みへの自信のなさを感じ、澱んだ気持ちを自覚する。
こういうことは度々あった。
「あなたの好みは変わってる」
それだけで私が選んだものに価値がなくなる。

それでも、母が選んでくれたものだ。
感情では愛情を受け取れないゆえに、母から貰った物で愛情を確認してしまう。
家を建てるときに、この絵を飾る場所はきちんと用意し、リビングの一番高い位置に飾っている。

男兄弟の中のひとり娘だから、ひとりだけ女だったから私だけが貰えたアクセサリーたち。
デザイン的に似合わず身につけることがほぼできないのに、私だけが貰えた、それだけで大事にしまってある。
未だにどうにか身につけられないかと苦悩している。

ずっと長いこと、「母は私を愛していた」と証明しようとしている。
できなくて絶望している。

教育虐待から書きはじめたのにズレてしまったがε-(´∀`; )
子どもの願いはそんなに複雑ではない。
欲しい!と思ってから自分なりに考える。
自分なりに努力する。
失敗したら泣き叫んで終わり。
次に繋げる大事な経験である。
それ以上でもそれ以下でもない。

それを親が、可哀想、私がどうにかしなくては、叶えてあげなくては、と思ったところから悲劇がはじまる。
先にある失敗の芽を摘むことによって、その経験は失われる。
余計な口出しが自信を奪う。
その先の可能性の芽を摘む。

親がやることは先回りして形だけの成功をさせることではない。
振り返ったときそこにいて、安心して帰れる場所になり、ときに抱きしめて、一緒に悲しみ、一緒に喜ぶ。
それだけで本当はいいのだ。

そういう愛が欲しかった。

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