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母との記憶 本質がどうあれ、言葉は人を傷つける

なるべく時系列に沿って母との記憶を書いてきて、コレ終わるのかな?どのくらいで?と少し不安になった。
手放しワークは振り返る作業だけではない。
まだこの後の作業もある。
終わらない、どうしよう…

そう思っていたのだが、そろそろ終わりが見えてきた。
予想ではもうあと少しだ。

結婚式とその後について振り返ろうと思う。
私たち2人の意見としては、結婚式はしなくていい、だった。
両親に対して感謝以上の憎しみがあり、形だけ取り繕うと私たちの結婚自体が嘘で汚されるような気がした。
そんな形だけの式にお金をかけること自体もイヤだった。

しかし、義両親がお金を出すから結婚式はするようにと言ってくれた。
今思えば義両親は色んなことを考慮し、私たちの今後のために言ってくれたのだろう。

両親への手紙には特段嫌悪感があり、絶対にやりたくないと思っていた。
この手紙へのイメージが強くて、結婚式自体に忌避感があった。
しかし、せっかく義両親が与えてくれたチャンスなのだから最大限活かして恩を返そうと思った。
私は結婚式を、両親の子離れの儀式として利用させてもらうことにしたのだ。

式には私たちの味方だけを招待した。
両親がしゃしゃり出られない空間を作り上げた。
しかし、式の準備には母を巻き込んだ。
母はなにかと手を出したい人である。

「私ったら、ついつい手出ししたくなっちゃうのよ〜╰(*´︶`*)╯♡」
と言ってくれれば可愛らしいと思えるのに。
言葉より行動が本質というが、これは合っているようで納得しきれない。
本質がどうであれ、言葉が人を傷つけるのだ。

私が主導しつつも、思う存分に手出しさせた。
母の着たウエディングドレスをまとい、ベールやブーケの手作りも任せた。
私もできる限り手作りした。
それが母の思う理想だからだ。
合理的な私は既製品を好む。
レンタルで構わない。

周りから見たら仲の良い母娘。
娘思いの優しい母。
心のこもった小物の数々。
こだわりを詰めたあたたかい結婚式。

娘がこんなに打算的な考えを含んでいると知れば、同情を集めるのは間違いなく母だろう。

両親への手紙も心を込めて読んだ。
今までの感謝、嘘ではない。
しかし一番込めた思いは、
「どうかもう私を手放してください」

私が甘え、母が叶え、私がその好意を受け入れ感謝を示す。
そんな母の理想が叶えば母は満足してくれる。
母の子育てにピリオドを打ち、子離れしてくれるかもしれない。
そこに賭けた。

そもそも結婚自体、婚姻届という紙の契約自体が私にとって重要なことではなかった。
婚姻届というただの紙切れ一枚に縛られた母。
私がどれだけ巻き込まれ苦しめられたことか。
離婚を主張する母が、結婚を子どもに期待するのはなぜなのか。
未だ静かな怒りを感じる。

要するに結婚自体はどうでもよかった。
ただ、どうせその形をとるならば大事にしようと思った。
大事にするために、利用しようと思った。

私の結婚は文字通り、両親の子という戸籍から切り離す手段であったし、夫の配偶者という立ち位置は私を守る手段であった。
結婚式は母の子育てに終わりを告げるメッセージであり、私の背後にいる味方を見せつける場でもあった。

もうこれ以上、私に手出ししてくれるな。
そういった気持ちで、しかしポジティブな手段でやり終えた結婚式。
結果、私の願いは期待以上の成果を得た。
こんな形だけでよかったのだ。

未来のための願いは叶った。
これ以上ない、私の作戦勝ちだ。
結婚自体、私は本当にして良かったと思っている。
それはこの作戦の成果のひとつでもある。

しかしここでまた、母が私自身をどれだけ見ていないかを証明したように感じた。
こうなることは最初からわかっていた。
この失望感を飲み込む覚悟で、未来のために、母の愛への執着を捨てようと思ったのだ。

感情だけは思い通りにならないのだ。

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