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無意識に許可を求める自分がいた

今日もわくてかしてますか~!!りぃです(^^)/
昨日、こちらの動画を観ました。

相談者さんが八木さんに許可をもらおうとしているところが、
「その気持ちわかるなぁ。」と、思いました。

自分の場合、「許可をもらわないといけない。」と思っているところが強くて身近な人に相談していました。許可をもらわないと何故か罪悪感が湧いてきて自分の居心地が悪かったからです。
それに、自分の現状を目の前の相手と共有できないことも心地悪い。
万が一自分の考えを反対された場合、行動するにしてもそれを心に秘めたまま行動しなければならない。それが私には苦しかった。
(これは親密性と調和性の仕業だったのかな….かな。)
いろいろありますが、今考えると一番は
自分で選択の責任を取るのが怖かったんだろうな。
と、思います。

失敗したときに、
「だから言ったじゃん!」「ちゃんと相談してくれたら良かったのに!!」って言われるの、めちゃくちゃ怖い。(もちろん今も怖い。)

その怖いという感覚こそが責任の重さだったのかも。

たしかに「情報」を集めるのは大切なんだけれど、
その情報の「集め方(情報元)」も重要。
そして、「許可」は必要ない。
最後に決めるのは自分。
自分が納得できているならその道に進む。それだけ。

この先、いろんなことを選択して進んで行くけれど、
必要が無いなら言わなくてもいい。
ただ、そのせいで家族に心配をかけちゃうのは違うなって思うから
もし聞かれたり、知っておいてほしい、協力してほしいって思うときは、「いつも心配してくれてありがとう。」の気持ちと
自分はこれをやってみたいんだ。」って気持ち、
そして「困ったときは相談させてくれたら嬉しい。」という気持ちを伝えることにする。非常にこわいけどね。ガクブルだけどね。

「報告する」だけでいい。
最低限伝える努力をしたのなら、あとは相手の課題。
もちろん戦略的に報告しなくてもいい。

ちなみにプログラムを受けると決めたときは、
あえて誰にも相談しなかった。
ここでもし止められたとしても、自分の受けたい気持ちは変わらないなって考えてたから。
それに、ここでもし止められて行動をやめて我慢して、
今まで通りの日常に戻った時、
止めてきた人に対してモヤモヤしている自分にはなりたくないなって思ったから。
(「自分で自分を嫌いになるような選択はしない。」が、マイルール。)
いろんな人の感想が飛んでくるけれど、
結局自分の人生の責任は、誰も取ってくれない。

そんなことを実感した後だったからこそ、一歩踏み出せたのかもしれない。

いつチャンスが来ても掴める自分でいよう!

その時の目的に応じて「行動」を組み立てていこう。
そのときに「慎重さ×最上志向」を意識的に使っていこう。

言わなくていい。義務じゃない。
応援してくれる人にだけ言えばいい。
自分を前進させてくれる人にだけ届けばいい。

心配かけちゃいそうな人にはあえて言わなくていいし、
「無理だ。」「無駄だ。」「無茶だ。」って思っている世界線の人にもわざわざ言わなくていい。

行動を止めないこと」に集中すればいい。
結果が出たら、人の感想なんて変わるんだから。
「君ならできると思ってた!」って言われるようになるよ。
今まで散々見てきたもんね😉

というわけで、これからも行動します!!
もし間違えちゃっても、学びに変えればむしろお得🙆

今日もここまで読んでくれてありがとおおお😊

カザミドリ/坂本真綾
(新たな一歩を踏み出す前によく聴いてます。)


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