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赤い箱と黄色い箱

幼稚園の年長さんだったある日、夕方キッチンで母親がわたしを呼んだ。
「面白いもの買ってきたのよ。今日はカレーライスよ」
キッチンにあったのはコックさんの絵のついた赤いチェックの箱と黄色いチェックの箱。
「これでカレーができるの」
意味が分からない。

それまで我が家では、カレーは母親にとってめんどくさい料理だったろう。カレーはお出かけの時に食べるご馳走だった。たまにうちで作る時には鍋でタマネギをじっくり炒めたら肉を入れて炒め、じゃがいもとニンジンを入れて炒め、色が変わってきたら水をたっぷり差して煮る。一方で別の浅鍋で小麦粉を焦がさないようじっくりとバターで炒め、カレー粉を加えてさらに炒め、そこへカレーの具を煮ている別鍋からお玉で一杯ずつ煮汁を加えてダマにならないようにゆるめていく。ちびっこの弟はまだキッチンには入れてもらえなかったから、背伸びをして調理台の上を覗き込むのはわたしの特権だ。どろどろのルウを野菜と肉を煮ている鍋に移し、よくなじませてできあがり。
今考えるとタマネギをどこまで我慢して炒められるか、小麦粉が焦げないか、ダマにならないように混ぜなくてはと、「※注意」なポイントがたくさんある。鍋2つ使うのでなんだかせわしないし、2つのコンロがふさがってしまう。

さて、その日、流しのむこうのコンロでは、独楽のように赤と青のラインが入った白いホウロウの両手鍋に肉と野菜が煮えて湯気をあげていた。流しのこっちの調理スペースで、母親が箱を開けていく。まずは赤い箱。取り出したのはチョコレートみたいなものだった。
「わ、チョコレート!ちょうだい!」
「チョコレートじゃないのよ。これでカレーができるの」
うれしいんだかがっかりなんだかよくわからない。あの時どっちの気持ちが勝ったのか。

ポキポキと折ったカレールウを、なんと全部鍋の中に入れてしまう。チョコレートだったら一つずつポキンと折っては大事に食べるのに。ほどなくカレーのいい香りがしてきた。調理スペースの片隅では、電気炊飯器のスイッチがカチンと音を立てて上がった。ご飯が炊けた。

「黄色いのは?あっちの箱は?」
「あれは大人用。また今度ね」
腑に落ちない。

さあ、ご飯の時間ですよ。今日はカレーライス。福神漬けも忘れずに。父親は帰るのが遅いので、母と子どもたちの夕食だ。カレーライスの隣の器にはハムの入ったポテトサラダとサラダ菜がたっぷり。ひとくち食べて母親が「あら、おいしいわね」と言った。「グリコワンタッチカレー」、我が家のインスタントの歴史のはじまりだ。

それから母は次々に発売されるカレールウをどんどん試し、食卓のカレーライスの頻度があがった。テレビではカレールウのコマーシャルがたくさん流れた。ルウをミックスしたり、隠し味を試したり、前日から大ぶりの野菜と肉を煮て翌日ルウを入れたり、いろんな工夫がはやるのをお手伝いしながら見てきた。お留守番に子どもだけで作る(できてる鍋を温めてルウを入れるだけ)こともあった。父親のお気に入りは「フォンドボーディナーカレー」。今ではわたしにもお気に入りのルウの組み合わせがある。多分どちらさまのご家庭とも同じように。

ウェブで調べてみたら、「グリコワンタッチカレー」の発売は1960年だそうだ。我が家に入ってきたのはそれよりだいぶあとだということになる。大阪の会社だから、東京に入ってくるのが遅かったのか?ラジオでコマーシャルが流れていた「明星即席ラーメン」は同じく1960年。インスタントコーヒーが全面自由化されたのが1961年だという。振り返ってみれば、ニッポンのインスタントの歴史を体験してきたんだなあ。

12月。年末の準備にはカレールウも忘れずに。お餅を入れてもおいしいからね。今はどんなルウがはやってるんだろう。まずはそこから。

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この文章は、カレーの学校 Advent Calendar 2023に参加するために書いた。ヘッダ用に普通のカレーライスの写真がないかなと思ったんだけれど、一番それらしいのが写真のカレーだった。多分コレは買い置きのレトルトカレーだったと思う。





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