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君の瞳に恋してる

 初めてディスコに行った時から、DJに憧れていた。かける音楽で一つの夜を仕切る彼ら は、いってみればその夜の指揮者のような存在。今でこそ女性のDJも指揮者も活躍してい るけれど、あの頃は皆無だった。
バブル時代を選曲で再現してみようと思う。もし私がDJだったら、という妄想にしばしお付き合いいただきたい。注・文面なのでBPMは気にしていません。
スタートはディスコの象徴的存在アース・ウインド&ファイアーのヒット曲からにしよう。 ヒット曲がたくさんあるから迷いに迷うが「レッツ・グルーヴ」(1981)に決めた。で も「セプテンバー」(1978)も捨てがたい。あのイントロ聴いたらみんな浮き足立つだ ろうなあ。
テンプテーションズ「トリート・ハー・ライク・ア・レディー」(1984)、ヒートウェ ーヴ「ブギー・ナイツ」(1976)コンファンクション、「トゥー・タイト」(1980) とR&Bをつなげてみる。ホール&オーツの「プライベート・アイズ」(1981)もかけ よう。私はホール&オーツの出現でブルー・アイド・ソウルという言葉を知った。
次はマドンナ。「VOGUE」(1990)か「マテリアル・ガール」(1984)で迷い に迷って後者。でも、私が一番好きなマドンナは「ボーダーライン」(1983)だ。まだ マドンナが単なる野心的な女の子でMTVではレースのタンクトップに革ジャンを羽織り、 仕事と恋に揺れる女の子を演じている。あの頃は彼女が巨大なセックス・シンボルになり、 そしてLGBTのリーダーになるなんて思いもしなかった。
少し目先を変えて、ザ・ジェッツの「ロケット・2・U」(1985)。フィンガー5もジ ャクソンズもびっくりの8人兄弟で構成されたバンドだ。続いてガイの「グルーヴ・ミー」 (1988)、ニュージャックスウィングという新しいR&Bを世間に広めたグループ。R&Bやソウルと言われる音楽のファッションがラメのスーツからパーカに脱皮し始めた時期だ。
少し早いけれど、ここら辺でイヴリン・トーマスの「ハイ・エナジー」(1984)をかける。当時、電子楽器を多用したこの曲は革新的だった。この曲を初めて聴いた時、「リズ ムしかない......」と衝撃を受け、マハラジャのフロアに立ち尽くした。メロディや歌詞を伝 えるために音楽があるのではなく、電子楽器の性能を試すための音楽といったらいいだろう か。この曲のヒットによりハイエナジーという音楽ジャンルが確立され、それが発展したのがユーロビートである。ユーロビートがさらに大衆的になったものが昨今人気のEDM。
その流れなら、NOVAトウェンティーワンの成田勝がカバーしたヒット曲がいい。同社 は当時のマハラジャの経営母体(今は商標権を買い取った別の会社が経営しているそうです ね)だった。成田氏はユーロビートの代表曲であるマイケル・フォーチュナティーの「ギ ブ・ミー・アップ」(1987)や「イン・トゥー・ザ・ナイト」(1986)をカバーして 歌手デビュー、マハラジャ各店舗や青山キング&クィーンでかかりまくっていた。 勢いに乗った成田氏は人気歌番組「夜のヒットスタジオ」に出演、「イン・トゥー・ザ・ ナイト」日本語版を披露する。その際のバックコーラスがすごかった。アン・ルイスと中森 明菜、それにひらひら踊っているのがシンディー・ローパーである(念を押すけれど、ディ スコの経営者のバックコーラスですよ)。成田氏はブロンザーで日焼け肌に仕上げ、まぶた にはパールの効いたアイシャドウを塗り、衣装はラメラメのスーツで肩パッドが厚く、ウエ ストが極端に絞られていた。歌う間は片手をポケットに突っ込んだまま。これぞ、バブル。 今でもYouTubeでこの時の様子を見ることができるはず。
かつてディスコでは「チーク・タイム」があった。 フロアのクールダウンの時間だ。照明が落ちて、スローな曲がかかったら男女が二人一組 になってゆっくり踊る。男性が女性の腰に手を回し、女性は男性の肩に手をかけ、頰を寄せ合うように身体を揺らす。恋人同士じゃなくてもね。 一晩に一、二回はチーク・タイムがあってボーイミーツガールの絶好の機会だった。チー ク・ダンスに誘うのはまだ初心者で、慣れた男の子は一気に混み出すバー・カウンターを狙 った。手際よく女の子の酒を注文してとってあげたりして、話しかける。湿度の高いフロア を見ながら「よくやるよ。僕は恥ずかしくって」とかなんとか。
チーク・タイムの定番はレイ・パーカーJr.「ウーマン・ニーズ・ラブ」(1981)、 ホイットニー・ヒューストン「グレイテスト・ラブオブ・オール」(1985)など、ソウ ルフルなねっとりしっとり系が多いけれど、 cc「アイム・ノット・イン・ラブ」(197 5)などのAORも根強い人気だった。
チーク・タイム明けにはみんなが知っているヒットナンバーをひたすら繫げる。ジョディ ー・ワトリー擁するシャラマー「ア・ナイト・トゥー・リメンバー」(1982)、アベレー ジ・ホワイトバンド「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」(1980)、ドゥービー・ブラ ザース「ロング・トレイン・ランニン」(1973)、バナナラマの「ヴィーナス」(198 6)。 そして最後はボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(1982)。これしか ない。軽薄さとせつなさが綱引きをしているような、当時のディスコを象徴する一曲だ。 実はこれ、フランキー・ヴァリのカバー。1967年発表の原曲はもう少しスローテンポの甘くやさしい歌で、それをディスコ・アレンジして大ヒットとなった。この歌の原題は 「Canʼt Take My Eyes Off You」。それを「君の瞳に恋してる」としたのは名訳である。「I love you」を「月がきれいですね」と訳した夏目漱石のようだ。
当時、ディスコで「君の瞳に恋している」がかかると自然発生的に輪になって回るという 風習があった。誰彼なしに隣の人の肩に両手を置き大きな輪を作って、みんなでフロアをぐ るぐる回る。今思い返すと気が触れていたのかと思うのだけれど、でも、あれが最高に楽し かった。 マハラジャではある時期、営業が終了する合図にユーミンの「とこしえにGoodNight(夜 明けの色)」がかかっていた。私が明るくなったフロアに流したいのは須藤薫の「悲しき恋 のマンデイ」(1983)。彼女の歌で最もメジャーなのは大瀧詠一作詞作曲の「あなただけ I LOVE YOU」だけれど、私はひと夏の恋の終わりを描いたこれが一番好き。

無茶をした夏の恋人を/星たちがみんな見ていた
濡れた肩を寄せて/キスした砂浜
胸の中で鐘が鳴ってた
*
わたしが見たのは/いつわりの夢だったの
*
思い出だけが残って/すべて砂の中に/うずめてしまうわ

明るくなって客がいなくなったフロアには電話番号が書かれたコースターがいくつも落ちていて、その数字がところどころにじんでいて、マルボロの空箱なんかも落ちていて、もう
楽しい週末も終わって、季節は夏ではなくなっている。
バブル時代って、ひと夏の恋みたい。


*こちらの記事は『バブル、盆に返らず』からの一部抜粋です。全文を読みたい方は、よろしかったら本でどうぞ。あの時代を楽しんいただけると思います。 





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