私は酒に強かった 若かった頃は、何かにつけて「女のくせに」と言われる時代だった。 酒を飲む女についてもしかり… けれど父は私に言った 「社会に出て働くようになると飲み会が必ずある。若い女の子にはよってたかって飲ませようとする、そんな奴らがいる。 酒に潰れた女の子はその後ろくな目に あわん。 お前は酒に強くなれ、お前が男を潰すくらい強くなれ」 というわけで、私は酒に強くなった。 もともと父も酒豪で、その血を色濃く受け継いでいたこともある。 私は父の教えのおかげで、飲み会
猫を多い時は5匹飼っていた その中でロコという名の女の子は一風変わった子だった。 冬になると食器乾燥機の上に大の字で貼り付いたりしたのもこの子だけだった。 日曜朝の「さわやか日本百景」という番組が大好きで、オープニングから画面に見入るのもこの子だけだった。 猫嫌いで人間が好き。 他の猫たちと同じ部屋にいるのがイヤで、イヤすぎて自身の体を掻いて傷だらけにする自傷行為をするので、私の部屋に隔離した。 しばらくのつもりだったが、この暮らしは5年間続いた。 つまり5年間ロ
ここ数年の雨の降り方がヤバくて、家の裏の土手が崩れないかと心配になり、コンクリートで固めることを決意したのが3月。 ネットでいろいろ調べて、地元でクチコミの評価が良くて、顔出ししている工務店に依頼した。 ネットと同じ笑顔の男性がやって来て、さっそく見積りをしてもらった。 金額はやはりネットで調べて、まぁ相場だったのでお願いしたのが4月。 それからが長かった… 他の仕事が詰まっていてと言われ、待つこと4ヶ月 で8月末に始まった。 いったん始まれば仕事は早く、9月の
わが家の老犬パンナの後ろ足が立たなくなった。 ヨロヨロとしながらも、前日までは庭を歩いていたので驚いた。 いつかはこうなるとわかっていても、心構えなんてできるはずもなく、だから青天の霹靂のように驚いた。 それにしても突然すぎる。 考えられるのは、夜中にリビングで足を滑らせたせいかもしれない。 ならば回復の見込みがあるかもしれないと、夫は庭にタープを張り日陰を作りパンナのリハビリを始めた。 立たせることから始め、次はペチャンと崩れないように注意深く支える。 そして
好奇心旺盛と言えば聞こえはいいが、とにかく興味を持つととりあえずやってみたい、もしくは買って手元に置きたい。 中途半端に終わってしまったものは数知れず、大金ではないにしろムダ遣いは多々ある。 でも私はこの『好奇心旺盛』という自分の性格が好きだ。 父親とそっくりだから。 父はもう少し派手にお金を使っていて、とにかく家電が大好きだった。 テレビも冷蔵庫も洗濯機も、わが家はいつも町内で1番に買ったので、近所の人がよくテレビ番組を見に来ていたし、洗濯機も隣のおばちゃんが借りに
「私はその日は外せない仕事がある」 で?? 父の葬儀の日が決まった時の兄のひと言である。 だから兄は父の葬儀を欠席した。 弟は当時40年近く引きこもりを続けていて、部屋から出てこないし加えて精神障害を発症していた。 病院から斎場へ、葬儀の段取り当日の仕切りなどすべて私がやった。 父は生前より、母にすべてを遺すということと、葬儀には誰も呼ぶなという2つの言葉を残していた。 そのことを喪主の母からも言われて葬儀には誰も呼ばなかった。 後に親戚中から叱られるのは、兄
8月のカレンダーを見ていると不安でいっぱいになる。 地元の観光地にある博物館で働いていて、8月11日は無料デーで数百人のお客様がいらっしゃる。 それは想定内。 そしてその翌日には朝から夕方まで続く手話通訳の仕事がある。 果たして2日間の激務に私の体力がもつかという不安。 「やります!」と仕事を受けたのは私。 だってどちらもやりたいんだもの。 とにかく必要なのは体力のみ、気力は有り余るほどある。 体力さえあれば、何事もなんとかなるくらいに思っている。 ジムに行く回
1日の中に、いくつかのルーティーンがある 朝起きてからのルーティーン、仕事のない日なら午前中のルーティーン、夕方、夕食後、寝る前と続く。 ざっくりとしたものもあれば細かいものもある。 中でも朝のルーティーンは、犬猫たちのお世話もあってとりわけ大切。 それなら夕方も同じだと思うかもしれないけれど、朝はスタート時間を守らないとその日1日の他のルーティーンに影響する。 夕方はだいたいの時間で始めれば、他の事柄への影響が最小限で済む。 5時半に起きて犬の散歩をして、化粧し
毎日本当に暑い日が続いている。 山の中の住まいは、朝と夜は涼しいけれど、日中はほぼ都会と変わらないと思う。 太陽が山の間から顔を出すころは、庭の木々に日があたり、なぜだか小学校のころの林間学校を思い出す。 そんななつかしさを感じる朝を毎日感じられて嬉しかったりする。
昨年の秋に40年続けていた調理を卒業して、毎日宅食を食べている。 薬の副作用で鬱になったのがきっかけで、料理が嫌いなわけではなかったけれど、キッチンに立つと気持ち悪くなったりした。 毎日届く宅食では使っている食材の多さに、調理の大変さがわかって、いつもただただ感謝していただいている。 夕飯の時には必ずお酒を飲むので、宅食のおかず弁当は、それが晩酌のアテになる。 晩酌は1年じゅう焼酎の湯割りと決めている。 今日のアテは何だろうと楽しみにしながら弁当のフタを開ける。 (
難病を患う私は両足に痺れがあり、そのうえ身体のバランスが取りにくい。 ちょっとしたことで身体のバランスを崩したりするので、階段は避けてもっぱらエレベーター。 道のほんの少しの段差にも足を取られて、バタンと転倒する。 そんな私にはこの先運動なんてとんでもないことと勝手に思っていたが、主治医より意外とあっさり「運動してもいいですよ」と言われた。 ならばと地元のスポーツジムに通い始めたのが3ヶ月前だった。 ベルトコンベアのようなウォーキングマシンならば、段差もなく歩くリハ
やってます、相変わらず頑張ってます。 最初は先生と私の2人だったのが、今は生徒は4人に増えてた。 部屋代だけ徴収しているので、本当に1回100円のワンコイン英会話。 私の英語力はほとんどついてないけど、外国人を見ても頭真っ白にはならず、自分から声をかけるくらいの落ち着きは出てきた。 それだけでもすごい進歩と、自分で自分を褒めている。 仲間が増えるとそれなりに刺激を受けて、単語帳を作ってみたり、何度も書き写したりして、記憶力の落ちた自分を叱咤激励する日々。 週1回のワ
昨年の大病により基礎疾患があるので、主治医からは 「コロナには絶対かかってはいけない」と言われていた。 そんな私が新型コロナに感染した。 5類になって以降、気を抜いていたかもしれない。 思えば少し体がだるくなった、にもかかわらず、こんな時こそ気合いだ!とばかりにジムに行きトレーニング。 そして次の日は高熱と頭痛、倦怠感が半端なくベッドから1ミリも動けなくなった。 だから病院も次の日に、なんとか車を運転して行き、「新型コロナです」と診断を受ける。 帰る途中コンビニに
私の家は山の中にあり、街灯もなく夜は真っ暗です。 寝る前に庭に犬を出していた時、暗闇から「こんばんわぁ!」と大きな声が! 腰を抜かしそうになりました。 声の主は小さな懐中電灯を持った義母でした。 「うちのもん(者)たちどこ行ったぁ?」 私の家の隣に空き家があって、そこはかつて私の夫が生まれ育った家でした。 義母の頭の中は、その空き家で暮らしていた日々に戻っていて、義父(亡くなった)や2人の息子が帰ってこないと探しているとのこと。 私はつい「こんな時間に何をしているの!」と言
認知症の義母は変わらず元気です。 私なんか敵わないほどの健脚で、どこへでもスタスタと歩いて行き、無事に帰宅する。 ただ病名にあるように、認知機能は落ちていて、その程度は日によって違うみたい。 しっかりしている時もあれば、そうでない時もある。 わが家の電話番号は暗記しているみたいと言うか、受話器を持つと自然とわが家の電話番号をピポパと押してしまうみたいで、これは時には忘れて欲しい。 で、先日も電話があり 「お父さん(3年前に亡くなった義父)はそっちに行ってる?」 『いいえ
断捨離したいものに親戚、血縁ってありだと思う。 私の母は三姉妹の長女で、次女が婿を取り祖父母を養い、三女は恋愛結婚をした。 まず次女の婿が遊び人で(おもろいおっちゃんやったけど)次女は経済的に困っていた。 そこへ大企業の管理職を夫に持つ三女が、着物や宝飾品を実家に帰っては見せびらかす。 次女は心底怒って長女の母に言いつける。 母は妹の三女に「親の面倒を見てもらっているのだから、もう少し気を使いなさい」とたしなめる。 三女は「私何か悪いことした?」 で、長女と次女vs三女と険