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ふとした記録

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アラフィフのおんなが書いている日々の記憶です。 ささいな日常の手触りを思い出すための記録です。
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#邦画

ちょっとした好奇心から、日常がもっと面白くなる。<劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん>

リアルに会える友達も好きだけれど、ネット上での関係性の方が居心地がいいときもある。 他人だから話せることもあるし、冷静に話を聞けたりもする。 実生活でも、ネットでも、コミュニティを持つことで救われることは多々ある。 居場所って、たくさんあって困ることはない。 私はネットワークゲーム(というよりゲーム全般)をやらないのだけれど、「息子であることを隠して、父親とゲームでコミュニケーションを取る」というストーリーに惹かれて「劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」を観

マインドフルネス的銭湯殺人事件? 殺し屋…なのに、なぜか「あるある!」と共感しちゃうハートウォーミングストーリー。映画<メランコリック>

あたりまえのことは、疑問を抱きにくい。 いい大学を卒業したら一流の企業に就職するし 銭湯は身体を洗って温める場所だし 人を殺す人はきっと怖い人だし ニコニコしている人にはきっと裏がある。 …という前提をいちいち覆して「本当にそうなの?」と問いかけてくるのが、映画「メランコリック」だ。 すっごく見たい!と思っていたところ、トークショーつき試写会に当たった。 バイトを始めた銭湯は、深夜に風呂場で人を殺していた…というストーリーの理由が 「人を殺した血を洗い流せるし、死体は

”綺麗”と”綺麗ごと”のあいだをつなぐ~「町田くんの世界」

「綺麗」は濁りや穢れのないさま、 「綺麗ごと」は見せかけだけの体裁で実質が伴わないさま。  年を重ねるにつれ、綺麗なものも「綺麗ごと」に見えてくる。  特に選挙期間中である今は、実現が不可能そうな理想論を聞いては「そんなこと言っても現実はねえ」とツッコむ自分もいる。  かといって、理想を否定してばかりいても、何も良くなってはいかない。  「町田くんの世界」は、ちょっと斜に構えた子どもたちや、汚さに慣れてしまった大人たちが、町田くんという無心な男の子と出会うことにより少し

源を思い出す~「海獣の子供」

 初めて宇宙を感じたのはTVで砂マンダラを見たときで、あんなに壮大な絵柄が砂で出来ていて、あっというまに壊されて砂粒に戻ってしまうことに衝撃を受けた。  大人になってからは「ミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)」という思想に惹かれた。  人間のしくみと宇宙のしくみは同じで、お互いに繋がり合っているという考え。  例えば大宇宙が砂マンダラの絵柄なら、私はきっと一粒の砂である。  そして、私という砂の中に、また大宇宙が存在する。  映画「海獣の子供」は、予告編