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早くしてよって言っちゃう親のこと。

今日は子育てのお話。

早くの定義って何。

子どもと接しているとつい言ってしまう。「早くご飯食べて」「早く靴下履いて」「早くお風呂入って」そんなことを一日に何回言ってるのか分からないくらい言う。人間になってそう何年も経ってなくて、まだスプーンだってうまく使えない、服を前後正しく着ることもできない。そんな子に何を言っているんだろうと思う。

一回できたらもうできるはず。甘えたいのかもしれないけど、こっちは誰にも甘えず頑張ってるんだ。仕事して、家事して、用事もたくさんあるし、部屋だって汚い。掃除だってしたいし、明日の準備だってある。冬物だって出さなくちゃいけないし、晩ご飯の買い物にも行かなきゃいけない。自分の中にはたくさんの予定があって、それをこなすのに精一杯で早く早くと急かしている。

じゃあ「早く」ってなんなんだろう。そんな用事を知らない、時計すら読めない子どもに「早くしてよ」ってどんな意味があるんだろう。

何に急かされてるのか。

この子が早く靴下を履いて、靴も一人ではけて、忘れ物もせずに自分のリュックを背負って「お母さん準備できたよ」なんて言ってくれたら楽なんだろうか。それはそれでイライラする気がする。だって私の仕事は終わってないから、減らないから。

結局お母さんを急かしているのって何かって考える。やってもやっても終わらない、そこはない見えない何か、なんだと思う。幽霊みたいな話になるけど、その場では見えない怖い怖いやつ。

つまりあれだ。本当はいないんだ。見える人にだけ見える、お母さんにだけ見える。お父さんにも子どもには見えない、自分だけが背負ってるやつ。ってことは、自分が見て見ぬ振りしたらそれはもはや存在しないってことにならないんだろうか。

追い越しの意義。

車線変更をひたすら繰り返して追い越していく車ってある。そんなに急いで危険なことして、数分のためにイライラしている人。

お母さんでいる自分てそんななのかもしれないって思う。見えない何かに責め立てられて、急がなきゃいけないと急かされて、焦るあまり周りをヒヤヒヤさせてる。何かに急かされてるんじゃない、自分が急いでるだけなんだ。そのイライラを一番近しい弱者に吠える。「早くしてよ」って。

甘えてるのは自分の方なのかもしれない。早くしてよって言えちゃう間柄に、そんなこと言っても自分を大好きでいてくれる存在に。自分がキャパ越えしてせかせかしてもいつも変わらないでいてくれる存在に。こっちが甘えてる。

ゆっくり走ったら意外に良い景色だったり、実は間に合ったりしないのかな。むしろそこにたどり着かなくても良いかってならないかな。

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