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仕事のやりがいとか言うものについて考える。

今日は自分のお話。

やりがいを感じる瞬間。

最近プールに行くことが多くて、コロナのせいで入場者がほとんどいないプールにいる監視員を見て思う。
この人たちのやりがいってなんなんだろう、と。

ゆったりと歩く高齢者、泳ぐ練習をする親子連れ、健康のために歩く小太り←
大学生とかの頃は仕事にやりがいなんて考えなかったんだろうか。
実は今より仕事に対する考え方はドライだったのかもしれない。

お金を稼ぐ手段としてその時間与えられた仕事をやる。
それも素晴らしい働く動機。

いつからやりがいなんてものを必要とする様になったんだろう。

社会に出てからの仕事としてプールの警備員をやっている人のやりがいは何なんだろう。
救命する瞬間?ありがとうって言われた時?仕事終わりに飲むビール?
本当に瞬間と呼ぶにふさわしいくらい短い時間。
それを求めながら働くことは難しいし、専門技術だっているし、体力も使う。

「やりがい」って何だろう。
そもそも仕事の「やりがい」って何なんだろう。

幻想が出来上がる瞬間。

子どもの頃は知っている職業が少ないからこそ、夢はすぐに決まった。
やりたいこと、憧れてることを、親が何となく喜びそうなことを夢にする。

いつから仕事が現実的なものになってきたんだろう。
将来性、給料、福利厚生、安定性、世間体、現実化できるか。
そんなことから選択肢を狭めていって、大人は将来何になりたいか、じゃなくて今何になるべきかを決めていく。

そんな中で志望理由や、自分の夢、その仕事に着くまでの努力を語る。
なりたい夢に自分を合わせていく。

そんな自分に嫌気がささない様に、働いてから夢をみる。
展望、やりがい、目標、ビジョン。
言葉を変えて自分は変わらす幻想を抱く。

現実を悟るのは長期間。

やりがいなんて見出せる瞬間は本当に瞬間で、でもそれのために頑張ってる訳じゃなくて、ただ毎日の生活を守るために、みんながやっていることを自分もやれると思いたくて、むしろそんなことすら考えずにただ毎日を淡々と過ごしていく。

だって私たちは、やりたくないことをやってるから「やりがい」とか言い出すんだから。

やりがいが見出せないから、プライベートを充実させたいとか、辞めたらどうしようと考えてみたりとか、生活のためだと割り切ってますと言いてみたりとかする。

やりたくないことにやりがいを見出す。
元から難しいこと。
だってやりたくないんだもん。

この文章に苛立つ人は、きっとやりがいがない人。
やりがいを見出せないことに苛立っている人。

自分なりの一歩踏み出してみるのもありなんじゃないでしょうか。

私は一歩踏み出しましたよ。


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