お母さんと看護師さん。

今日は看護師としてのお話。

業務効率。

予想外のナースコールが一番困る。いや、今ご飯配ってるから。いや、今入院とってるから。そんなふうに思ってしまうと対応も遅れるし、お互い不満もたまる。だから事前に検温に回った時に、トイレ行っときますか?目薬さしましょうか?氷枕溶けてませんか?なんて親切な振りして先回りをして声をかける。さも親切ですよ、言われる前に気付く気が効く看護師さんですよ、なんてスタンスで。

そうすると自分への信頼度も上がるし、自分の機嫌を整えられるし、自分のスケジュールで動けて時間通りに帰れる、いいことしかない。きゃっほい、私できる看護師さん、なんて考えでいた。

1時間の価値。

訪問看護は「あなたに全力で尽くす1時間」を買ってもらっている。他の誰にも邪魔されない、ただただあなたに尽くす1時間。

でもそれすらも60分を55分に終わらせれば、次の人の準備を少しできればなんて思考がよぎる。効率化という名の怠慢。自分には何人もの患者さんがいる。あなたには私という看護師しかいない。その隔たりを作るのは明らかに看護師の私。

自分の業務が適切な時間に、そして内容は程々に濃く、でも自分が無理しない程度に終わる。それがお互いの一番良い最大公約数だと思っていた。でも違った。

私は60分に終了したい。だから遅ければ手伝ってしまうし、できないところをやってるつもりでも、それは必ずあなたのできることを奪っている。気が利く看護師さんを演じたつもりでも、それはあなたのできることを奪っている。

全力であなたに捧げる。

あなたのためを思って、あなたにだけ時間を尽くして、あなたに捧げる60分。それはお母さんみたいだった。できないことは分かってる、やらせて時間がかかることも分かってる、クオリティが低いことも、やらせることで本人がイライラすることも分かってる。でも、待つ。

それがあなたに捧げる60分。できても、できなくても。あなたのために時間をつくす。

業務の効率、他の人からどう思われるか、時間通りに終わるかなんて考えず。あなたのことを、あなたのこれからの人生を支える60分。60分を積み重ねていって、あなたがいつかできるようになれば良い。それが3ヶ月後でも1年後でも良い。それまでずっと付き合うから。私が側で見守っているから。

病棟の看護師さんの時もやってるつもりだった。でも全然違った。全然違う看護がそこにはあって、あなたと一緒に一生、生きていく。それが訪問看護ってものだった。

ま、ただの役割分業なんだけどね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?