真面目な人が真面目をやらずにいられる時。
今日は自分のお話。
真面目って何なの。
真面目にやりなさい、ちゃんとやりなさい。そんなふうに小さい頃は言われていたのに大人になるにつれ、真面目はだんだん悪口になる。あいつ真面目だよな、もっと気楽にやればいいのに、こんなにちゃんとやられるとさ…なんて、真面目じゃないことがかっこいい、真面目にやるやつはダサいなんて文化がやってくる。
真面目って何なんだろう。真面目だからって人を妬まないわけでもないし、周りに嫉妬することだってある、自分に失望する時もあるし、頑張れない時もある。それでも真面目って言われる、真面目って何だろう。
私が思うのは、真剣に物事に向き合っているかどうか、だと思う。出来なくても、がんばれなくても、その物事に向き合って奮闘する。他人とは比べても比べなくてもどっちでも良くて、その物事に対し、向き合っているかってことなんだと思う。
不真面目を真面目にやる。
もう真面目にやるのをやめよう。育児だって家事だって、仕事だってもっと不真面目な人っているし、私だけこんな頑張ったってしょうがない。そう思って真面目にやらないと言うことを選択したことだって何度でもあると思う。でも真面目な人は「やらない」を真面目にやってしまう。今日はやらないって決めたんだからもうやらない、何が何でもやらない。だってやらないって決めたから。
いつも自分の感情は後に回してしまう。やらないって決めたらやらない。じゃなくて物事には出来たり出来なかったりいろんなことがあっていいし、同じ指標で、同じ基準で進まなくったっていい。でもそのさじ加減がうまく出来なくて、やらないって決めたことはやらないってなる。そうやってやらないことを真面目にやることで、「やらない」で楽になるはずなのにしんどくなる。
不真面目を真面目にやってしまうのが真面目さんのよくないところ。自分が楽になれる様に不真面目をしようとしたのに、やりたいこともやめてしまうから辛くなる。
take it easyの気楽じゃなさ。
力を抜いて、もっと気楽にやろうぜ、なんて声をかけられたりするけど、それで出来たらきっと真面目はやっていない。だって、何事にも真剣にやらないことが難しいから。
じゃあなんて言われたら力が抜けるんだろう。そう考えると「ちゃんと出来てるよ」かな、と思う。向き合う気持ちはいつも相手に向かってる、だから自分を省みることがあんまりなくて、自分を省みる時は責めるときになってしまうから、出来ている自分を知ることがない。だから「出来てるよ」って言ってもらえたら、少しだけほっとできるのかもしれない。
気楽にやれたら、とっくにやってる。
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