せっかくだからの呪縛とお砂場の自由さ。

今日は子育てのお話。

観光地とか食べ放題でよくあるやつ。

「せっかくだから良いもの食べようよ」「せっかく来たんだからあそこも行こうよ」「せっかくだし元取れるまで頑張ろうよ」なんてよく聞くセリフ。良い物を食べる、普段買わない物を買う、普段と違う時間の使い方をする。そんな特別感が大人をワクワクさせる。非日常、普段の世界とは違う、いつもとかけ離れた自分。

「せっかく」って何だろう。

実際にやってることはきっと、普段は食べない好きじゃない物を食べたり、時間が余らないと行かないような気にならないところに行ったり、もうお腹いっぱいなのに腹十二分に食べすぎてみたり。せっかくだからの特別感とはかけ離れた行動。普段の自分ならしないこと、いかない場所、食べない物、それらが特別と呼ばれる。その特別って必要なんだろうか。

好きなものは不変。

うちの娘さんは公園が好き。公園に行こうといつも誘われ、親心にいろんな場所の公園に連れていく。たくさんの自然があったり、アスレチックがたくさんあったり、普段見ない遊具があったりするところに連れていく。長い時間運転して、さぁ着いたよ、遊ぼう。そうなった時彼女はいつもこう言う。

「お砂場したい。」

砂場とは、砂があれば成立する遊びである。滑り台は長さや幅、高低差の変化も多くある。ブランコも座る部分の形状や、鎖の長さ、乗り方だって多岐にわたる。アスレチックともなればネットやら綱を使って登る場所、飛び越えたりぶら下がったり、体の機能が存分に使用できる。

砂場とは、いかに。砂があればどこでもできるのだ。

せっかく、遠くの公園まで来たのに。せっかく、こんなにアスレチックあるのに。せっかく、こんなにたくさん自然があるのに。なぜ砂場で遊ぶんだ。そんなのどこでやっても一緒じゃん。せっかくなんだから、ここにしかない物で遊んでよ。そう思ってしまう、私のエゴ。

環境に左右されない自分。

せっかくだからと、自分の好きでもないことをする。せっかくだからと、普段ならしないことをする。それはそれで楽しいのかもしれない。でも彼女はしっかりと自分を持っている。周りの環境でも、周囲の雰囲気でも、親のエゴにも左右されない、自分の好きなことをやり通す力を。

砂場も突き詰めれば、砂の感触やら材質やらが違うのかもしれない。でも彼女が楽しんでいるのはそんなことではなく、自分の内面から湧き出る楽しさで、それに少し周囲の環境の変化というスパイスが混ざった、何より好きなメインディッシュ。

どんな場所でも味わえる、自分の好きな物。それを彼女は知っている。

どんな時でも貫ける、自分の好きな物。それを彼女は分かっている。

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