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久々にコンプレックスが刺激されて「死にたい」って思ったので、今の心情を書き起こす

「死にたい。」と今ふと思った。
これは言葉をそのまま意味しているのではない。つまり、本当に死にたいと思ったわけじゃない。多分だけど、コンプレックスが刺激された時、口癖として出てくるのだろう。私は、本質的に嫌悪するものを目の当たりにしたときに、この言葉が反射的に出てくる。

「死にたい」っていう言葉のインパクトは凄くて、一気に気持ちが沈む。何も考えられず鬱々とした気分になる。でも、今回はちょっと頑張って考えてみた。一体私は何に刺激されて死にたいと思ったのか。

さっきまで友人とラインをしていた。
ラインの内容は「後輩にコリンの研究について教えてやってほしい」とのことだった。そして渡された後輩ちゃんのラインの連絡先。
その後輩ちゃんのラインのアイコンがまさしく私の地雷だった。

まず目に入ったのが、女友達二人でとったミニスカワンピースの足の写真。顔をうつさず、あえて腰から下だけをトリミングしているところが、自分の足に自信がないとできないことで、正直うわぁと思った。(完全にコンプレックスが刺激されている。)

そして、メッセージ部分に書かれている6個の所属しているサークルの名前。(kpop,マネージャー,企業など)。そして一年の目標がご丁寧に書かれていた。(やらない後悔をしないなど)。
そしてやっぱりだが、アイコンの写真は自分の振袖の写真でかなり可愛いかった。

今書き起こすことで徐々に冷静になりつつあるが、
シンプルに自分のやりたいことを素直に取り組んでいる前向きで可愛い子なんだと思う。邪険にする要素は一切ない。
むしろ尊敬すべきだ。

しかし、私は何でもかんでもやっている子を見ると問いたくなる。
そんなにいっぱいやってるけど、あなた自身はどんな人間なのさね。と。
完全に意地悪であるし、卑屈な考え方だと自分でも思う。
でも、本当に「私いろいろやっているよ!」と疑いのない表情で言っている子が私は心から嫌いなのである。

私は明るくて快活な女の子が嫌いである。コンプレックスを刺激されるから。私が未来を悲観的にしか考えられないのに、同じ年の子は全く違う景色を見ている。その事実がやっぱり私のちっぽけな器では耐えられない。
そしてその明るさで周りに愛されているのを見ると、自分が余計に惨めに感じて嫉妬してしまう。
羨ましい。私もそうなりたい。

どこで分岐したのだろう。あの子と私、一体何が違うのだろう。
生まれ育った環境が違いすぎたのだ。
私より暖かい家庭できっと育ったんだ。そう考えると余計にやるせない。

でも、結論、他者比較することが自体が間違っているのだ。
私は私。私は私に自信がないからこうなっているのだ。
なんだか書いててスッキリした。
私は私の積み重ねで生きていこう。


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