人に理不尽に怒られるのが怖い、特に閉鎖的な環境で。だから私は外に出たくなる。だから私は人との距離が欲しい。 誰かと付き合うと安心と同時にすごい不安に陥る。多分人と付き合うの向いてないんだよね。
銭湯に行った時の反省 入浴後、人が空いていたので棚の前で荷物整理を行なった。しかし、入浴後のおばあちゃんが棚を開けようとしていて、完全にそれの邪魔になっているのに私は気づけなかった。 次からは、荷物を取ったら、人の動線の邪魔にならないところに移動する。そうしようと思った。
まだまだ寂しくないけど、そろそろ締めに向かわなければ。
1人になろう、1人を味わおう、そうした時初めて横にいて欲しい人が見つかるのかもしれない。
1人が寂しくないのはなんでだろう、恋人を積極的に欲している人と自分は何が違うのだろうと最近思う。 今日考えたことは、私は自分は周りの人や環境のおかげで満たされているからなんじゃないかなとおもった。 没頭したい何かがある、感謝を交換し合える仲間がいる、これが私の寂しさを消していた。
本音としてはもう何も期待されたくない。何も頑張りたくない。ただ可愛くなって可愛いって溺愛されたい。 ただただ楽になりたい。 元カレが働きたくないって言ってた今の気持ちわかるなぁ。しんどい中でも、ぎゅーってして癒される、そんな関係が作れて安心できてたらよかったのかもしれない。
なんか、疲れた。 男の考えをトレースするのに疲れた。 多分ほんとはこんなことやりたくない。 何も考えず大人にならず自由でいたい。 論理的に考えなくて良くなりたい。 パーっと素直な自分でいたい。 私ってどうだったっけ。 もうちょっと気楽な人間でいたいなぁ
・私は人からのニーズや期待に敏感 ・逆に私は↑に左右されすぎて、自分のニーズや欲求がないのかもしれない。 ・多分、男脳な男子よりは女脳の男子の方が話してて楽な気がする。 ・自分を全肯定してくれる相手、だから好きくらいのマインドの方がうまく行く気がする。
母の価値観で育ってきた。でも大学に出て、父の価値観を理解しようとして男の中に混じった。ブレブレな自分。でもその根幹には、ちゃんと「私」がいるはずなんだ。
父は男脳で、母は女脳で、「女は勉強なんて、、」「女でも才能あるなら勉強しなさい」どちらも言われて育ってきた。多分、迷いが私の中でずっとあるのは、両親の言葉を真面目に捉えて、その折衷案なり自分なりの答えなりを考えてきたから。だからかな、「自分」という人間にずっと自信が持てない。
自分の苦手を人に預けるってすごく大事だ。 嘘の自己肯定をしない。 「苦手」と思った時の「それを言ったって仕方がない 」を封じ込める。 「苦手」こそ人の力を頼るタイミングのサイン。
でも、確かに、対外的に広く活動できている人って、絶対的に救ってくれる誰かがいるから広く活動できている様な気がする。 私は一人でそれをやっちゃったけど、本当は、ちっちゃくまとまるんじゃなくて、こういうことをやりたいっていうのは素直にやったほうがいい気がする。
同期と恋バナした。 自分が恋人を作れないのは「孤独を感じにくい人間だから」と思っていたけど、「孤独を感じていない」と思い込んでいる時、実は、その奥底にある孤独を感じている自分を無視している可能性があることを、同期男子に提案された。 セーフティネットを作るって実は大事なんかな。
偏りなく人の話を聞ける、そつなく人と話せる、深く理解できる、努力ができる、準備を怠らない、明るい これが私の長所。 逆に短所は、 一度考えこむと抜け出せない、時間感覚が乏しい、不安な気持ちに左右されやすい、相手と自分は別と切り話せない いっぱいいろいろあるな。
いや、でも理想が高いのは、長所にばかり目が向いてて、短所を補ってくれる人に対して、優しくないからかも。 昔は自己肯定できなくて、自分の短所しか見てなかった。でも、今は自己肯定できすぎてて、逆に腰が高くなっている気がする。
というか、1人で色々自己完結しているから、恋愛すること自体が目的になってて、自分が「もっと好かれたい」と思えるようなすごい男性に出会えてこなかったのが原因か。 、、、理想が高すぎるってこういうことか?