見出し画像

大地の芸術祭2018の感想

新婚旅行でイタリアに行く予定だったのですが、台風21号による被害で中止となりました。それならばと台湾旅行を企画してみれば、今度は台風22号が勢力を拡大しながらそっちに向かってしまったので、それも難しいということになりました。結婚前にあまりにも付いていないことが立て続けに起こるので、「もしかして世界がこの結婚を拒絶しているんじゃないのか」とか変なことを考えてしまったのですが、全くそうではありませんでした。どうやら私は導かれていたようです、越後妻有(えちごつまり)で開催された大地の芸術祭に。

まずは感動をお伝えしたいと思います。本当に純粋に楽しかったです。私の芸術のイメージと言えば、何だか分からない難解なものを前に、うーむと眉をひそめて作品を味わうような、そういうもでした。実際、その前日に立ち寄った金沢の21世紀美術館は全くその通りのもので、ホワイトキューブと呼ばれるそのほかに何もない真っ白な空間に、ただ作品だけが配置されているというものでした。私はその前で「うーむ」と眉をひそめてみましたが、正直に言うとよく分かりませんでした。(正確に言えば、いくつかは面白いと思いましたが!)

それと比べると、越後妻有の大地の芸術祭には非常に雑音が多いです。そもそも、ほとんどの作品は美術館に飾られていません。それらは越後妻有という広大な大地のあちらこちらに点在していて、田んぼ、森、公園や池に突然現れるのです。畑の下からモグラのおっさんが顔を出していたり、森の中には不思議な形の椅子が散りばめられていたり、もう使われなくなってしまった校舎には巨大なお化けが蠢いていたりしました。そのような雑音まみれの展示方法は、それぞれの作品がその大地から産まれて来たかのような感覚を来訪者に与えます。つまり、その雑音こそがその作品が何であるかを教えてくれるのです。

それらの作品を取り巻く地域住民の方々の存在も忘れることができません。一度体験をすれば分かると思うのですが、作品を維持管理されているボランティアの地元住民の方々が、本当に楽しそうに私たち来訪者に接して下さいます。「このお店の名前はベリー・スプーンって言ってね、ほら航空写真で見ると分かるんだけどここがスプーンの形をしているでしょ?だからスプーンっていうの。ベリーはここの畑で取れたのを使っていてね…(略)」と、愛情溢れる解説をして下さいます。

帰ってからいろいろ調べて分かったのですが、地元の方々がそれぞれのアートを愛しているのには、それなりに十分な理由があるようです。大地の芸術祭では、よそ者であるアーティストがその土地に着想を得て、それをその土地にある意味強引に植え付けようとする訳ですが、その行為は必ずしもそこの住人に歓迎される訳ではありません。いやむしろ、拒絶されるだけにおさまらず、アーティストや主催者である北川フラムさんへの誹謗中傷などが凄まじかったそうです。いくらもう使わない田んぼだからといって、先祖から受け継いだ大切な土地を現代美術のような得体の知れないものに好き勝手させる訳にはいかない、それはもっともな話です。それでもアーティスト達は諦めませんでした。その土地について勉強し、交渉し、粘り強く交流を続けました。根負けしたのか、それともその思いが通じたのかは分かりませんが、アーティストはやっとの思いで地域住民からアートの設置許可を獲得します。そして、そのアートの作成過程においても、アーティストは地元住人と交流を繰り返します。土地のことを教えてもらったり、作業を手伝ってもらったり、おにぎりを差し入れてもらったりしたそうです。そういった葛藤、和解そして共同を経て、それぞれのアートは、もはやアーティストだけの作品ではなく、それに携わった地元の人々全てのものになったのではないでしょうか。だからこそ、あんなに楽しそうに観光客に声をかけることができるのではないかと思います。

さらに、作品数が圧倒的に多いことも魅力です。全部で334点のアートが展示されているのですが、それらを全て回ろうとすると1週間が目安になる程です。それぞれの作品の前にはスタンプが置かれていて、来訪者はそれをパスポートに押していくのですが、これがまたスタンプラリーのようですごく楽しい。今回私たちは集めることができたスタンプは、だいたい全体の20%ぐらいでした。今度来るときはコンプリートを目指したいですね。

芸術祭は760km2という広大な土地に展開しており、何の計画もなく訪れた私たちは、ある作品から次の作品を見にいくために車で1時間以上を費やすこともありました。しかし、それも含めて楽しいんですよね。アートばかりを見ているせいか、車を走らせながら見る景色のいたるところでアートらしきものを見つけることができます。例えば、木や雲の形状だったり、鳥の飛んでいる姿だったり、古い家や設備の一部に、アートらしき「何か」を発見するのです。子供のような好奇心が蘇って来た感じがしました。

主催者の北川フラムさんが「ご飯にはこだわった」と仰っていたのですが、それは間違いないと思います。キナーレという美術館でお蕎麦を頂いたのですが、地元の蕎麦屋で出されるものより数段美味しかったです。他にも木の実の美術館ではカレーのとてもいい匂いがしていたのですが、残念ながら既に店じまいをしたところで食べ逃してしまいました。3年後の大地の芸術祭2021年にも必ず参加して、今度こそは食べてやるぞと企んでいます。

越後妻有の名前の由来は、「とどのつまり」から来ているという説があるそうです。それは「思わしくない結果に行き着くこと」を意味します。この土地の住民たちは信長に追われた一向宗の末裔だそうで、逃げて逃げて最後にたどり着いたのがこの土地だったという訳です。そこでの暮らしは決して楽なものではなく、厳しい地形で農業を行うために田棚を作り、冬は厳しい豪雪に耐えながら生活を営むことになります。さらに現代では、越後妻有は急速な高齢化と人口減少に悩まされていました。そういう意味でも「とどのつまり」にいたのです。

大地の芸術祭はそんな越後妻有に希望をもたらします。かつては誰も見向きもしなかった土地に、年間数十万人もの観光客が押し寄せたのです。「とどのつまり」に活気が蘇り、それどころか越後妻有は世界的な地方創生の希望となりました。

私の新婚旅行も、台風の影響により「とどのつまり」で越後妻有を訪れることになりました。しかし、そこで体験した大地の芸術祭は私たちの新しい門出に相応しい、希望に満ちたのものでした。もう既に8年以上は同棲生活をしてからの結婚なので、そういう意味でも「とどのつまり」と言える訳ですが、大地の芸術祭はその煮詰まった状況に何か新鮮な風を運んでくれたような気がします。3年後に開催される2021年大地の芸術祭にも、二人で参加できたらいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?