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開催レポート:インクルーシブ教育ってなんだろう?

書き手:端将一郎(弁護士)

2022年9月23日、親と子のリレーションシップほくりく2022inえちぜんのプレ企画第2弾として、吉田知栄美さん、小林大純さんをお招きして「インクルーシブ教育って何だろう?」というテーマでお話をお伺いしました。

インクルーシブ教育とは、障がいの有無にかかわらず、すべての子どもが多様であることを前提とした教育のことを言います。今回は、インクルーシブ教育の必要性、課題、展望について、様々な角度からお話を伺いました。

講師についてご紹介させていただきます。吉田知栄美さんは、ご自身も障がいをもっておられます。そして、20代の頃から障がい者運動にかかわり、障がいの有無に関係なく誰もが平等に持っている地域で生きる権利とそのための社会のあり方を様々な活動の中で働きかけおられる方です。

小林大純さんは、現職の教員で、キャリアのうち17年間を特別支援学校の教員として過ごされています。フリースクール福井スコーレ代表の小野寺玲さんをファシリテーターとして、進行しました。

●吉田さんの体験談
私の障がいは、先天性の脊髄性筋萎縮症というものです。筋力が弱って、重いものがもてなかったり、日常生活で、顔を洗う、着替える、食事を作る、そういったことについて介助が必要です。現在、一人暮らしをしていますが、24時間介助者がいてくれています。また、呼吸器も付けて生活しています。

父母ともに重度障がいをもっていて、幼少期は県外の施設で過ごしていました。小学校に上がる前、このまま県外の施設にいたらもう戻って来れないのではないかと思い、越前市に戻ってきました。

地域の小学校に進学を希望しましたが、当時の教育委員会から、「あなたは車イスだ、車イスの子のために学校を改造することはできない。普通の学校に入れたいというのは親のエゴだ」ということを言われました。結果、引っ越しをして特別支援学校に進むことになりましたが、地域から排除されたということになります。

小中高と特別支援学校に進みましたが、特別支援学校に入学した子たちは障がいの中身により分けられる。そうしたところ、私は教室に1人しかいなかったので、周りをみても友達がいない環境でした。地域から排除され、新しく住んだところでも地域の人は私という存在を知らない状況です。

特別支援学校では、バリアフリー化され、手厚い授業を受けられると言われますが、一方で、「障がいをもつということは特別なのだ、自分は人と違うのだ」という意識をもたざるを得なくなる面があります。中学部くらいまでは、孤立感、孤独感、劣等感があり、引け目を感じていました。自分の身体が害なのだ、だから自分を認めてくれるために、もっと頑張らないといけないと自分を責めたこともあります。

中学部になったとき、身体的に障がいがある子だけでなくて、地域の学校に行きたくても行けないとか、いわゆるやんちゃをして地元の学校から拒まれた子たちもクラスのなかで授業を受けるようになりました。面白いなと思ったのは、喧嘩もあったり、笑いながら面白いよねと言ったりできる。「かわいそうだから」という関係でなくて、「一緒にしたいから、手伝うよ」「車イス押すよ」等と対等な関係のなかでの付き合いが自然にできるようになりました。

その後、私は、大学まで進みましたが、たしかにバリアもあったけど、一緒にいた子たちが対等な関係のなかで付き合えました。支える側と支えられる側ではなく、日常生活のなかでお互いが当たり前に存在することが大事だと感じています。見えない相手のことは考えられません。同じ地域のなかにいるということを認知し合える、対等な関係にあるというところから出発しないといけないと思っています。

●小林さんの経験談
吉田さんの話のなかで印象的だったこととして、入学のときに施設改修ができないとか、親のエゴだといったことを言われたというのは、本当に心が痛むことです。今の時代でこういう発言があったら、人権問題になると思います。ただ現在は本人や保護者の意向を重視して学習の場が決定されますが、30年くらい前にはこういう状況があって、吉田さんたちがそれを切り開かれてきたのだと思います。

私からは、まず、普通学級か特別支援教育かを選べる状況にあるにもかかわらず、特別支援教育を選ばざるを得ない現状という点についてお話します。私は、主に高等部の子と接することが多かったのですが、高等部にいると、中学校までは一般の学校の支援学級や通常学級から入学してくる子もいます。そういった子は、心がズタズタになって入ってきます。高校の3年間では心の傷を癒すのがやっとで、自分の心がコントロールできるようになるのが精一杯です。

その一方で、小学部から特別支援学校にいる子は、非常に朗らかで、後から入った子たちの癒しにもなっています。普通学校、普通学級の状況が、障がいをもった子にとって非常に過酷だという状況を一つ分かっていただきたいと思います。

一方、中学校の支援学級で担任をしていたとき、子どもたちは通常学級での授業と同じ内容を教えてもらいたいという希望を持っているし、また高校も皆と同じように進学したいという希望をもっています。子どもの希望に沿うようにするけれど、一般の高校に進むには、どんなに授業が分からなくても教室で座っていること、テストの点数が悪くても言われた課題は必ずができるように中学校のときからトレーニングをしたりします。

支援学校(学級)に進むほうが良いのかどうか、どっちが良いのかということは一概には言えません。考え方としては、まずは自分が思う方向に進んでみてはどうかと思います。希望するなら、どのような方向にでも決めることができる現状だと思います。

日本全体でみてみると、子どもの数が年々減っている中、特別支援学級・学校で授業を受けたいという希望は年々増えています。国としてはインクルーシブ教育を進めていこうという雰囲気は伝わってくるのですが、もし行政がお金の節約という観点でインクルーシブ教育を語ると、これは残念な結果になってしまいます。

教員の目線に立つと、しんどい思いをして通常学級にいる子は、荒れたり、ついて来られなかったりします。ここ5年くらいの様子をみていると、本来通常学級にいれる子を発達障がいということにして支援学級にという流れがあるようにも思っています。

●あるべきインクルーシブ教育について
この後、吉田さん、小林さん、小野寺さんで、インクルーシブ教育について議論がなされた。

議論を踏まえ、感じたことは、まず、障がいがあってもなくても同じ場所にいることが当たり前ということを、社会全体で共有して、子どもたちに伝えていくこと、1人ひとりが対等な関係であることが伝わるように育むことが大事ということです。

日本の教育はグループアプローチの手法については非常に質の高いものですが、一方で、個に対するアプローチは弱いという側面があります。個に対するアプローチという面では、子どもたちが興味をもつ観点から広げていけば、子どもたちは興味を持って学べるのではないかという提言がなされました。

課題として、学習指導要領をどのように捉えるか、教員が多忙で余裕がない状況をどのように改善していくか、こういった側面の改善なくして、個に対するアプローチは難しい面もあると感じました。

ただ、それが「仕方ない」ではなく、どのように対応していくかを考えていくことや個別の制度、たとえば義務教育のなかにヘルパーを入れていく等、学べる環境をつくっていくことが必要だと思います。だれでも享受できる基本的な環境ができること、そして、必要に応じた合理的な配慮、この2つがインクルーシブ教育にとって重要な点となると思われます。

インクルーシブ教育の実現に向けては課題もありますが、誰もが同じように等しく、辛い思いをしないで受けられる教育の実現、そういった将来を想像しながら、今できることを1つひとつ進めていくことが大切だと感じた内容でした。

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