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心理学における再現性危機について、やさしくまとめたよ

心理学における再現性危機について、やさしくまとめたよ
サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ・その34

※長く勤めていた精神科病院を退職し、“街の心理士”へと華麗なる転身?を果たした「りらの中のひと」が、心理学やメンタルヘルス、日々の出来事などについて感じることを綴っています。

 先日、科学スキャンダル(STAP細胞事件)についての読書を記事にしましたが、心理学においても、研究データの不正な取り扱いが、研究実践の問題として現れている(例えば、“人間の未来予知能力”について実証したとしたBem,D.J. 2011。科学の因果律では、起こっていないことを事前に察知することは、時系列的に不可能であるのは当然)といいます。

 科学の世界に問題があるのなら、それを理解し正す努力を続けることが、科学の信頼度の回復・向上につながることは、いうまでもありません。陰謀論といった“得体の知れない思考枠組み”への巷の共感に懸念を覚える者として、科学(に基づくまっとうな思考枠組み)の信頼度の回復・向上は、他人事ではありません。

 そんなわけで、心理学研究における“問題ある研究実践”とその解決策について、一般の方にもお伝えし、“科学的にまっとうな思考枠組み”の理解者になっていただくべく、記事を書いてみることにします。

 このように重大なテーマは、一心理士(しかも研究者ではない)の力量を大きく超えるものではありますが、すでに公開されている概説論文(参考文献)の一部を、かみ砕き要約して引用することで、務めを果たしたいと思います。ちょっと長いのですけれど、お付き合いください。

 なお、心理統計について、学部レベル以上の知識のある方は、参考文献の原本をお読みになることをお勧めします。

参考文献:
a 池田功毅、平岩界 2016 心理学における再現可能性危機:問題の構造と解決策 心理学評論59(1) pp.3-14.

b 池田功毅、平岩界 2016 池田・平岩(2016)「心理学における再現可能性危機:問題の構造と解決策」に関する追加的ノート

https://www.researchgate.net/publication/302880267_chitianpingshi_2016_xinlixueniokeruzaixiankenengxingweijiwentinogouzaotojiejueceniguansuruzhuijiadenoto

c 工藤与志文、南風原朝和、村井潤一郎ら 2022 『心理学の7つの大罪』から考える心理学研究法 教育心理学年報61 pp.291-303.

1.「再現性危機」とは、どういうことなの?


 科学的な知見は、既に確かな知見・理論とされているものから導き出された仮説を、合理的な手続きにより検証した結果、成立します。ただし、新たにもたらされた知見がユニークなものであるほど、「これは本当に本当なの?」といった疑念を晴らすため、別の研究者が、同じ手続きにより再現・確認を試みます(これを「追試」といいます)。複数の追試により、同様の結果がもたらされれば、「この知見は正しかったんだ!」と証されたといえるのです。

 ところが、心理学研究では、報告された研究結果のうち、結果を充分に再現できるものが半数かそれ未満、という情報がもたらされています。心理学的な知見の半数は、不充分か“いんちき”かもしれないのです。

 この、結果が充分に再現できず、研究の“正しさ”(妥当性)が疑問視されてしまう事態を「再現性危機」というのですね。

2.なぜそんなことが起こるの?


 心理学研究者がとりわけ“悪質”で、意図的に研究不正を繰り返している事態は、想像しにくく、むしろ無自覚に“問題ある研究実践”を行っているのではないか、と推測されています。

 物理法則のように”強い“理論によることができ、検討する仮説の”正しさ“を事前に予測することができる科学分野と違い、心理学のような”弱い“理論では、仮説の事前予測が難しい、という点を指摘する意見もあります。事前予測が難しければ、”出たとこ勝負“でたくさんのデータを集め、都合のよいデータのみピックアップする、とか、データを見たのちに、都合のよい分析手法を選択してしまう、などといった「問題ある研究実践」が行われてしまいがちだ、というのですね。

 この「問題ある研究実践」の具体例は、他にも、研究対象者(データ)を少しづつ足していき、都合のよい結果が出た時点で解析をやめる、などの手法が考えられ、複数の手法が組み合わされると、本当は正しくない結果を正しいと誤認してしまう可能性(いわゆる有意水準。心理学研究では5%に設定される場合が多い。誤る可能性が5%より低いくらい、妥当な結果なのですよ、という意味)が、ぐんと跳ね上がってしまう、とのことです。

 あとは、「よくできた研究成果ばかりが論文として発表される」(出版バイアス)などの関与も考えられます。確かに、“失敗した”研究結果を世に出すことは、研究者にとって不本意でしょうから。

3.では、どうしたらいいのか


 「問題ある研究実践」を減らす(なくす)には、どうしたらいいのでしょう。

 ひとつは、研究ルールの見直しです。研究論文として発表するには、学会や科学雑誌のガイドラインに則ることが求められるのですが、そこでのルールを厳格にしよう、というものです。ただ、やみくもに研究ルールを厳格化していけば、それをすり抜けようとする不正行為もエスカレートしてしまう可能性もあります。

 そこで提案されているのが、事前審査つき登録制度にもとづく研究です。研究目的や分析手法などを事前審査にかけ、実際に研究を行えば、結果がどうであっても論文化する。また、登録された研究手法に基づいた、直接的な追試を励行する、というものです。

4.科学実践は、地道でつまらないところに価値がある


 「石を指さして、これはカラスではない」というのは、知見としては頑健(絶対に正しい)でも、意味のある情報には思えない、という指摘は、正しいものです。しかし科学は、「石を指さして、これはカラスである」という、ユニークではあるが頑健さがない(全く正しくない)主張を、「石を指さして、これはカラスではない」と言い続けることにより、拒否していくものです(石とカラスの例えは、参考文献b、pp.21-22)。

 その意味で、科学実践とは、地道でつまらない営みだと言えるのかもしれません。けれども、その積み重ねが、科学的知見への信頼を確かにしていくのですね。

 最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

(おわり)

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