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【精神科医療】当たり前であって当たり前でない「理想」に近づくためには

【精神科医療】当たり前であって当たり前でない「理想」に近づくためには
サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ・その31

※長く勤めていた精神科病院を退職し、“街の心理士”へと華麗なる転身?を果たした「りらの中のひと」が、心理学やメンタルヘルス、日々の出来事などについて感じることを綴っています。

 精神科医療における長期入院の是正や、それがなされないことへの“教条的批判”について、フォロワーさんが記事にされておりました。示唆的(時に明示的)なコメントを多く綴られる方です。いつもお世話になっております(笑)。

 ことは障害者の人権に関わるので、(笑)マークつけて語るなどけしからん、とのご批判は受け入れます。その上で私も、かみ砕いてさらっと語り直したいと思いました。引用記事の記事主が仰ること以上のオリジナリティは、ないかもしれませんが、よろしければお付き合いくださいませ。

1.障害者権利条約の理念と日本への勧告について


 日本を含めた国連の場で、障害者権利条約が採択され、国内法を整備し批准した時点で、同条約に書かれた内容が私たち(日本)にとって“社会的に正しい”方向性となります。social correctnessを個人的にどう評価するかは別として、国は当然、その方向で訴求することになります。それが嫌なら(そのつもりがないなら)同条約を批准しなければいいだけの話です(国際関係上、ことはさほど単純ではないのでしょうが)。

 そして国際調査団が、日本の取り組みの状況に係る勧告を出したことについて、その内容は基本的に妥当なものと思われます(厳しいな、とは思いましたが、意外に感じられるものはなかった、という意)。

2.当たり前であって当たり前でない現実


 障害者権利条約で謳われた、障害者の権利に関する「理念そのもの」は、極めて真っ当な、批判の余地の欠片もないものです。一方で、その「実現」は、紆余曲折、艱難辛苦、一筋縄ではいかないものでしょう。「当たり前」の理念の実現が、実は「当たり前でない」という、ねじれたリアリティの中で、私たちは暮らしているのです。その実現困難性をやすやすとスルーして、「こんな当然のことが実現できないなんて!」と(“教条的”に)非難することが、問題の扱い方としてふさわしくないことは、既に明らかです。でも、このようなコメントは、よくあるのですよね。

3.メディアの切り取り方


 このような、理念実現の困難性の理由を、啓発の不足(皆が理解すれば、変えられる)に求める立場から、メディアの報道がなされるわけです。個人的に、ことはさほど単純ではないと思うのですが、それでも啓発・理解の大切さについては、共有しているつもりです。

 「当たり前」の理念の実現を啓発しようと思えば、そのための伝え方は「ほら、こんなふうにできている例もあるじゃん(だから、皆もできるよきっと!)」という形式をとる、ということは理解できます。成功例を取り上げ、世間を励ますのですね。

 ところが、実際には、理念の実現は困難を極めます。汗にまみれ泥を這い、9つ失敗して1つを掴む、といった地道な実践が必要なのです。そして、現場で携わる者は、その地道さや失敗の中から、ささやかな知恵や教訓を掬い出します。一部の成功例に基づく“促し大作戦”は、ちょっと安易で表面的なのですが、逆の“教条的批判”も、煩わしいばかりか、むしろ現場の士気をくじきかねないのですよね。報道による「促し」と、“教条的批判”とは、表裏一体のものにみえますね。

4.私たちの語り方


 そこで、現場の“私たち”の語りが大切になります。私たちは、眼前の対象者(患者さまやクライエント)を通して物事を見、帰納的に理解します。当然、その理解は、文脈依存的かつ個別的であって、多くの方々に理解されるだけの広がりをもちません。

 現場の“私たち”が、それぞれの語りを地道に重ね合わせていくことで初めて、メッセージが公共性や広がりを獲得することができる、と考えます。だから私もnoteで発信し、この記事を綴るのです。そして、何度も出てくる“私たち”というくくりの中には、そこの“あなた”も含まれているのですよ、きっと。

(おわり)

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