私たちは退屈を恐れているのか
退屈って人によって感じるものがちがう
あ~退屈。なんか楽しいことないかなぁ…
そんなことを考えてしまう瞬間、ありませんか。
簡単に〈退屈〉って言葉が出てしまうけど、果たして?
退屈している状態ってダメなこと?って考えてみました。
電車内でやることがないと…退屈
見事なまでに電車内は、スマホを操作している人たちが並びます。
寝ている人も以前より減った気がします。
それから本を読んだり、ノートパソコンを開いて操作している人も。
私もついつい何かしていないと、気が済まないのですが…
手持無沙汰というか、手が空いていることも恐れている。
これって退屈からの逃避なのかな?と思います。
家に帰ると、何よりも先にテレビをつけてしまう
という習慣になっていませんか。
静かな空間による、刺激のなさを退屈と感じてしまうわけです。
もはや、何も考えずにテレビのリモコンに手を伸ばし、なんとなくつけて安心に。電車内で何かを!というのとはまた別のタイプかもしれません。
何も考えないでぼーっ、ができない
はい、これ私です。自覚してます。
何もしない時間が耐えられない。頭のなかいつも何やら考えているんですね。しかもさほど重要でないことだったり。
頭のなかが、言葉や行動の振り返りなどでいっぱい。
これもまた、退屈な状態に自分を置けないということかなと。
退屈だと感じることは「悪いこと」じゃない
この本の帯にはこのように書かれています。
人の脳というのはどうやら、快感を求めるものらしいのですね。
簡単にいうと不快な状況を脱することが快感につながるらしく。
で、退屈が不快と感じると。すると退屈から逃れることが結果として快感であると。
となると、退屈から逃れようとして様々な手を尽くしていくことで、そこにまた慣れてしまい、そこからさらに逃れようとして深みにはまってしまうのでしょうか。
しかしスマホという便利な逸品は、私たちを飽きさせることなく、深みにはまったままの状態を保ってくれます。
ある意味こわい?
時間は有限なので、私たちはついつい今を今を!と生きてしまうけれど、退屈を恐れずに、自分のなかに退屈を持ってみようかなんて考えました。
と言ってるそばから、ほらほらスマホと本を抱えて歩かない!
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