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旬杯⛱️短歌審査員rira賞


俳句や短歌、川柳、小説など、作品にはその方の心が反映されていて、特に詩歌はその方そのもののようにも感じられる。

みん俳は、お互いの良いところを褒める場所だ。
私たちは審査員という係だけど、短歌の先生でも何でもない。ごく一般人だからこそ、作品の中に潜むその方の心を見つけ、技法うんぬんよりその人にしか引き出せない光を、自分の感性で見つけていくつもりでいる。

その人にしか詠めないような個性、独自の視点、そして訴えてくる感情や情景が言葉を超えてそこに見えたもの。選歌してみて、そんな短歌を選んだように感じました。

他にも、心の込められた素敵な短歌がたくさんあります。ぜひあなたの感性で好きと思った作品に、勝手に賞をあげて「好き💓」の気持ちを伝えてみてくださいね😊



賞状内は敬称略させて頂いてます。

👑 第一位 👑

恋としか名づけたくない重量を
蒼夜のコンビニ片手で放つ

ヒスイさん

恋に重さはないけれど、たしかにそこにずっしりとした何かがある。思えば思うほど苦しくなる思いはいつしか重量となり、こころの片隅に棲みつく。それはどうしたって抗えるものではなくて、だからこそもっと苦しくて、もっと愛おしくなる。

だって恋としか「名付けたくない」のだ。そのずっしりとした重量はあなたを想う糧であり、苦しくてもそれは割り切れるものではなくきっと本能なのだろう。


蒼の冴える夜はどこか凛としていて寂しさが付きまとう。深夜に光るコンビニに吸い寄せられるように誘われ、何を買うでもなくぷらぷらと所在なさそうにしている自分。独りでいれば恋はより重量を増していく。耐えきれずに放ったそれをコンビニの棚に放ったら、誰かが手に取ってくれるのだろうか。

やるせなさ、愛おしさ、苦しさを置いて身軽になりたい。反面、愛すべき重量をずっしりと感じていたい。その相反するような恋心と、恋を重量と表現したヒスイさんにしかできない感性と表現力の高さに、まるで私もその夜のコンビニの世界に吸い込まれるように情景深く感じました。



👑 第ニ位 👑

炎天をみつめていたらいつか黄昏
ざりざりとなくしたものの輪郭なぞる

ゼロの紙さん

炎天とは上手く暑さを表現された日本語だと思う。夏の猛暑はまさに炎天、天が炎を吹き出して地上を燃やし尽くすかのようで、息をするのも憚れる。じりじりとした日差しの中でぼんやり何もないところを見つめている「私」がいて。おそらく窓辺や例えば海とか、ひらけたところにじっとして見ているうちに、いつのまにか黄昏時になっているのではないだろうか。

「ざりざりと」、それはゼロさんの記事の画像のレモンのように甘酸っぱくてほろ苦く、砂のように噛み締められないもの。こころの中でざらっとした手触りの何かがあって、何かが足りないような、欠けているような、失ったものがぽっかりと空洞を作っている。

足りないものってどうしても気になってしまう。すべて満たされているなんてあり得ないのに、どうしても気になって。でも、もう届かないそれを愛おしそうに、そして少し苦しそうにそのあった場所の輪郭をなぞる。本当にそこに輪郭があるわけではなく、そこにあったはずの大切なもの、今はなくとも確かにあったという証拠が「輪郭」なのだろう。

それは恋であっても、死であってもなんでも良い。夏の終わりの喪失感をざらっとした感触とともに、ゼロさんにしか表現できない言葉で感覚的に伝えてくれる。読めば読むほどこの歌の輪郭も見えてくる、まさに言葉の魔術師(十六夜さん命名)が似合うなぁと思いました。

短歌の本も出されているゼロさんならではの言葉運び、感覚的にこころの中に入ってきてざらっとした部分を刺激していくのがさすがです。



👑 第三位 👑

君が見ていない間にゆっくりと
腐敗してゆくトマトと私

新原わたりさん

トマトは強い日差しを受けて赤く熟します。青いトマトが太陽の光を集めてゆっくりと赤く熟していく様子は、まるで恋心が育っていくよう。少しずつ好きな気持ちを溜めこんで育てていき、どんどん大きくなって熟した真っ赤なトマトには、溢れるばかりの恋心が詰め込まれているのかもしれない。

しかしそれも君がいるからこそ。君に受け止めてもらえなければ、トマトは熟し切って裂け目ができる。そのまま追熟すればやわらかく溶けて腐敗していくしかないのだ。

トマトとともに熟していくのではなく、腐敗していくほうに視点を当てているのが夏の終わりの気だるさや感傷と重なる。夏の恋の終わりは妙に切なくてほろ苦い。トマトと私だけが腐敗して溶けていく、
さらりと詠まれたようでアンニュイさがすっと染み渡っていく情景に惹かれました。



👑 第四位 👑

真夏日はすこしべたつくドーナツの
空洞からはひかりが見えない

葵花さん

こういう比喩が基本的に私の好みかもしれない。
溶けかけてべたべたしているドーナツ、ということはチョコや砂糖でコーディングされていて、持ちにくくてなっていて。そのドーナツの真ん中には空洞があり、その向こうを覗くと光が見えないほどの暗さ。べたつく、見えない、などの言葉から物憂げな空気、ザラっとした何かが胸の中にあるような感覚が伝わります。

夏の日差しが照りつける昼ではなく、そこは夕闇から夜の世界。「枕草子」で清少納言が「夏は夕暮れ(が最も素晴らしい)」といっていたように、夏の暑さ薄れる夕暮れの時間帯は人を惹きつける何かがある。日が沈んだ後に空がオレンジに染まるマジックアワーも、夏に見かけることが多い。 

覗いても光が見えない薄闇は、ドーナツの持ち手の先行きへの不安に感じられる。伸ばしても掴めないひかりを追い求めてるというより、どこかもう諦めてしまっているような。

また葵花さんの二首目が「海抜がゼロメートルの看板にわたしの海が呼応する夏」なことから、ドーナツがゼロの形のようにも見えました。三首目に出てくるのは「白夜」。この三首がどこか繋がっていて、ゼロ地点にいる私にはまだひかりは見えないけれど、そのずっと向こうにはかすかに光がある。どんな暗闇の向こうにも光がいつか見える、そんなストーリーに励まされるようでした。




👑 第五位 👑

あんたたちのせいよあたしが溶けるのは
アイスだって空気読むんだから

しちさん


アイスの気持ちを短歌にする、しちさんのセンスに脱帽です。アイスだってきっと溶ける前においしく食べてほしいはず。カップのアイスなら溶けても掬ってあげられるけど、棒アイスなら垂れて下に落ちてしまう。服にべとべとになってしまったり。あーあ、なんて自分で落としたくせにため息をつかれたら、アイスだってきっと溜まったものではない。

でもこのアイスの可愛いところは、溶けたのは暑さのせいでなくアツアツな2人のせいだという。しちさんのイラストを見れば、男の子がおそろくいちごの棒アイス、女の子がサイダーの棒アイスを食べている。サンダルは、男の子が青、女の子がピンク。お互いの好きな色のアイスを食べているのかな、とも。


燃え上がる夏の恋はアイスさえも溶かしてしまう。いや、アイス自身が2人の空気を読んで(*ノωノ)キヤー💕ととろけてしまうのだ。なんて可愛すぎるアイス。しかも若干強気なところがまた良い。恋の始まったばかりの一番盛り上がる時期、2人でアイスを食べたらアイスが空気を読んで勝手に溶けちゃう、なんてことが起こりうるのかもしれません。



👑 第六位 👑

突然に花火のようにぱっと咲き
着地点だけ見えない恋だ

リコシェさん

恋に落ちる瞬間、というものがある。それはふとしたしぐさであったり、何気ない言葉であったり。一目惚れもあれば、意外な一面を見たり、思いがけない優しさであったり。その瞬間抑えきれない感情が吹き出してしまう気持ちを、夏の恋をパッと花火が打ち上がって弾けた瞬間に例えたのなら、これ以上に的確な言葉はないだろう。 

しかしその恋はどこに着地するのか。恋人がいる人を好きになってしまったのかもしれない。遠距離恋愛もあれば道ならぬ恋もある。未来の見えない恋は不毛だが、恋とは自分の意思と関係なく落ちてしまうもの。着地点が見えない恋は不安で頼りなく、いつ変わってもおかしくはない。しかし着地点が見つからなくとも、恋を止めるすべなどない。

「着地点だけが見えない恋」、この滑らかで秀逸な表現にすべて持っていかれました。恋も人生もなかなか着地点が見えないのであれば、せめて後悔のない場所に着地できることを願っていたい。



※7位以下は一覧順です。


誰からも借りられぬまま背表紙の
文字はさやけし遠く蝉時雨

林白果さん

さやけしとは、はっきりとして明らかであること。誰からも借りられていないまま、図書館の奥にひっそりと置かれている本がある。あまり読まれていないなら擦り傷や手垢がほとんどなく、背表紙も綺麗なまま。

遠くに蝉時雨が聞こえるほど閑静な図書館で、誰にも出会ったことのないようなその本は、まるで見つけてもらうのを待っていたかのよう。その時「私」とその本の目が合ってしまったかのように惹かれ、ふと手に取って借りていったのかもしれない。

本って何気なく手に取った時に、これ!と感じる本に出会うことがある。もしかしたら「私」の求める何かがそこに書かれているのかもしれない。

図書館の雰囲気はとても好きなのですが、だいぶ足が遠のいてしまっています。学生の頃通った静かな図書館の記憶がくすぐられて、あの独特の匂いや漂懐かしさが甦り、今まさに図書館にいるかのような感覚に囚われました。




手に負えぬ速度で育つ夏野菜の
ようにあれこれ夢が膨らむ

naomiさん

私の実家では、夏になると庭にたくさんの夏野菜が育っていました。どれも父が1人で育てていて、私たちは食べる係。毎日庭に出ては汗水流して野菜たちの世話をしていた後ろ姿を覚えている。

手入れするほどに艶々とみずみずしく育っていくほどに愛おしくなっていく、父の作品である夏野菜たち。父は、収穫した時の楽しみやそれを囲む食卓、家族の笑顔を想像してワクワクしていたことだろう。

熟した夏野菜の中に作った人の気持ちがたくさん込められていて、だからこそより美味しく感じるのだと思う。お日様の光と想いを詰め込んだ夏野菜、形はいびつだけど、その中にはたくさんの夢や未来がぎゅうぎゅうに詰め込まれているかのように美しい。

素直でまっすぐな、そして滑らかな言葉運びとリズムが好きです。畑一面の夏野菜がぐんぐん膨らんでいくように、夢もぐんぐん大きくなっていつか叶った時に最高の味を味わうことができるに違いない。



あの日から止まったままのカレンダー
主のいない寝室に夏

akarikoさん

止まったまま、いない。この言葉だけから、時間の止まった部屋の前でぽつんと佇む詠み手の姿がそこに見えるよう。静寂の広がる蒸し暑い部屋はがらんとしていて、たくさんの思い出だけが取り残されている。

カレンダーが止まったままなので、生前のまま残されているその部屋の匂い。普段は通り過ぎていても、ふとした拍子にやってくる思い出の波に飲み込まれることがある。

香りは思い出と強くて結びついているもの。声に出さなくとも涙を流しているような後ろ姿に、生を一生懸命貫く蝉の声がどこか哀しく響いているような、とても美しいキリトリに深い情景を感じました。



夏の夜シュンと枯れてく向日葵や
思い出一つ欠けたような気

旬さん

向日葵といえば日差しをたっぷり浴びて元気いっぱいのイメージ。だけどこの向日葵は夜の中にいて、昼の姿とはひと味違った景色を見せてくれる。シュン、としょんぼりした様子に旬くんのお名前が掛かっているのもまた良い。

暗闇の中で枯れゆく向日葵に目を向けた詠み手の視点が鋭い。夜の向日葵はどことなく儚くて、それが枯れかけているのだから夏も終わりに近づいているのかもしれない。

尽きていく命、終わりゆく夏を前に、思い出が欠けていく気持ちが芽生えてしょんぼりしてしまう情景が夏の終わりにぴったり。欠けたような「気」なので、はっきりとではなんとなく寂しさを感じる繊細な余韻が響いてくる。



最後だと線香花火散りばめた
光そのまま夜空になった

夕凪遙さん

派手やかな花火ももちろん楽しいけれど、ラストを飾るのは線香花火。暗がりの中に見える小さな淡い光、優しい火花の音、そして微かな揺らめきが不思議と心地良い気分にさせてくれる。

ぽとり、と花火が落ちた瞬間、真っ暗になり辺りに静けさが戻る。ふと見上げればそこには星たちが光っていて。まるでさっきの線香花火のような。もしかしたら、線香花火は消えたのではなく、夜空の星になったのかもしれない。

「夜空になった」の表現がさりげなく美しい響きです。線香花火をするたびに夜空に星を打ち上げることができるのなら、たとえ線香花火ともに消えた恋があったのだとしても、それは星となり永遠にそこで輝くのではないか。そんなロマンチックな妄想をしてしまいます。



気がつけばチクリと言わない仙人掌
あなたは強いと思い込んでた

aeuさん

本来なら棘を持っている仙人掌さぼてん、棘は身を守るものであり、また体温調節や水分吸収などの役割を持っているそう。もしサボテンに身を守る棘がなかったら、生きていくのもかなり難しいだろう。

aeuさんはこのサボテンを母親として比喩しています。子供のためを思ってとはいうものの、苦言を言う母親なんて子にとっては口うるさいもの。しかしそんな母親も歳を取れば、チクリと刺すことも少なくなってくる。

あの口うるさく強かった母親はもうそこにはいなくて。年老いて弱々しくなっていく母親はまるで棘を無くしたサボテンのようで。背中の丸まって痩せたその後ろ姿に、私たちは母親からたくさんの愛をもらっていたことに気づきます。

見えなかった愛を見つけた瞬間、思い込みのフィルムが剥がされ新たな視野が広がる。込められた愛と、気づかなかったことへの後悔がほんのりと見えてくるような優しい短歌でした。



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