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思い出は美化される

久しぶりの更新。

ブログや、stand.fm、ほかのSNSでは基本

前向きなことしか書かないようにしている。

やっぱり見てもらう人に嫌な思いはさせたくないから、本音は隠している。

でも、このnoteは本音を出しても共感してくれて受け止めてくれる人がいる

から、本音で更新します。文章構成は無茶苦茶ですが、お許しください。


長年の夢だった小学校の先生。

目指し始めたのは5年生のとき。

男の先生で、大好きだった。今でもたまに連絡をとるくらい。

先生もいつも楽しそうで(裏では大変だったらしいけれど)、目立たない

タイプの私だったけれど、そんな私にも気さくに話しかけてくれて、

そして何より自分の軸をもって、いつも本音で、型にはまない先生だったの

で、純粋に人として尊敬していたのだと思う。


飽き性で何かやってもすぐ飽きて、中途半端なことが多かった。

でも、小学校の先生になるんだ!っていう夢だけは変わらなくて

自分の軸であり、誇りだった。周りは夢があるのっていいねって言ってくれていたから。


教育大学を卒業し、晴れて念願の先生に。

そこは、本気で子どもとぶつかり合い、分かち合える

人としてとても成長できる場所だった。

でも、その一方で理想を追いすぎていたのか、現実は厳しかった。

いろんなことが同時にやってくる。保護者対応、子どもの対応、学校行事、

授業準備、研究発表、学年の打ち合わせ。休み時間はあってないようなもの。

給食ですら、おかわりと減らすのをやってあげていたら、

自分の食べる時間は10分もなかったりする。


私にもっとゆとりがあったら、よかったんだろうな。

でも、目の前のことに対応するので精一杯。

しかも人を相手にする仕事だから、日々様子は変化し

安定しないから、心配事が常にあった。

家に帰っても、明日大丈夫かな、と思ったり

保護者や先輩の先生に言われた何気ない一言を引きずったり。

同じ同期はもっとてきぱきと動けていて学級が安定しているのに

私はなんでこんなにうまくいかないんだろう・・・・

何をやっても担任の責任といわれてしまう世界だから

自分を責めてしかなかった。


そんなこんなで教師を続けた3年目。

日々小さなストレスがたまり、自律神経失調症と診断。

身体はやせこけ、心も鬱一歩手前といわれた。

それでも休めない自分。担任が休んだら、誰が子どもたちを

見るのだろう・・・・。みんなもしんどいから、私だけ休むわけには・・・・。

そう思うと這いつくばってでもいかなきゃという気持ちになり

なんとか言っていた。


でも、体調を崩して家に帰ったら倒れてただただ寝たい

その一心で。なんのために働いているのかわからなくなった。

2か月間ずっと悩んで、周りにも相談して、

結局教師をやめることにした。


そして、今年の4月からはひとまずフリーランスのWebライター

として活動中。


先のことは考えるのはやめた。不安になるから。

とにかく 今 だけを楽しもう、今を充実させて

幸せを感じようとしている。


本音を言うと、少し教師に対して名残惜しさはある。

あんだけ大変だったはずの教師の思い出は美化され

今では、先生できて幸せだったな、とも思う。

きっと離れて心に余裕ができたから、そう思うのだろう。


我ながら結局中途半端な人生だなとも思うけれど、

ある意味では、自分を大事にして居心地のいい環境に移動できる

才能があるのかもと思っている。

耐えるのだけが、頑張るのだけがいいことじゃない。

自分が元気で楽しくて、幸せな方が、

中途半端であろうとなんであろうと大事。


自分の好きに囲まれ、幸せを感じ

自分の軸を見つけて

ぶれない自分でありたい。


そしたらどんな場所でもきっとやっていける。

自分らしくあることが、一番いきいきと生きていける。


だから、私は今日ものんびり自分のペースで

楽しく過ごしていきます。


~最後に~

長々と打たせてもらいました。

前の「がんばり続けたからこそ伝えたい。無理しないで。」

という記事にたくさんいいねをもらい、共感してもらいました。

それがすごく私にとって励みになりました。

私だけじゃない、私の経験がみなさまにも響いた、役に立った

そう思えたのです。


今回は、教師を辞めて感じる名残惜しさと

新しい自分への気持ちを語ってみました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。感謝です。


今日も私はがんばりません!





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