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My Confortable space

 人それぞれに「落ち着く場所」というのがある。

 自分のいつもいる家の中の「自分の場所」を中心に,家の中のあるスペースから始まり,近所にある何か,ちょっとお出かけで行くところ,といった風に,範囲はさておき,「そこにいると何となく落ち着いていられる。」という場所が,人それぞれあると思う。

 そんな場所は,たいていの場合,どうして?と言われると,理由も,謂われも,はっきり言える場所であることが多いのではないだろうか。

 ところが,人によっては,場所自体ははっきりしているのに,理由やいきさつは,よく考えても良く分からない,ということがある。

 かく言う,私の「落ち着く場所」第1位はそんな所である。

 それは「メトロプロムナード」(JR新宿駅)

 最初に歩いたのは,小学校時代なのだが,正確に一歩を踏み入れた時期は定かではない。当時の記憶は,ちょっと下水道っぽい「臭い」がして,ゴミは落ちていないのだけれど,汚れた雰囲気の中,人がすごい速さで往き来する場所,というものだ。

 その内,自分でも自由にその流れの中を歩けるようになって,たゆたいながら感じた想いがある。

 メトロプロムナードは,本当に多くの人が行き交うのだが,まあ当たり前の話,歩く人は,ある方向,そして反対の方向,という2種類の人間がいるだけで,その中にどんな人がいるのかは全く意味を持っていない。当然,その中を歩く自分も,ただの歩行者であって,たまたま家族や友人が一緒にいたとしても,その小さい集団も流れの中ではただの「歩行者の群れの一部」でしかなく,通路の中では歩行者という意外に意味を持つことはない。

 この流れに身を任せていると,日頃しがらみや関係に辟易している自分が,そうした「絡め取られている関わり」から解き放されたような感覚になるのである。

 一方,メトロプロムナードは,地下通路として,地上の施設への出入り口が今も本当に沢山ある。昔は黄色地に黒の文字,今は黒字に白の文字で書かれた案内板が通路の壁や,入口の天井に掲げられ,歩く人々の目印になっている。

 そこで,一歩,本流(通路の流れ)から,出入り口の取付道路に入ると,歩行者だった時にはなかった自分が戻ってくる。そして振り向くと,そこには今まで自分が存在していたはずの,無機質な物体の流れが目に入ってくるのだ。

 普段でも,デパートの待合や,駅のベンチに座っている時に,何とはなしに通りすがりの人の流れを見て,ちょっとした「マンウォッチング」になる時があるけれども,メトロプロムナードの出入り口から見る人の流れは,まさしく川の流れを見ているように感じられるのである。

 歩く人それぞれの様子,というよりも,自分だけがそこに立ち止まっていて,目の前の2方向の流れを見る,という感覚が味わえ,何だか不思議な気分になる。

 そこで味わえるのは,私にとっては,まさしく「落ち着く」という感覚であり,さらに感じるのは,故郷でも何でもない場所にもかかわらず,いつも「ああ,戻って来たな」という想いなのである。この感覚は,家人や知人にも話す機会はあるのだが,まあ分かってもらえたことはない。

 当初の,少しダークだった雰囲気はいつしかとんでもなくきれいになり,幅も広がってしまい,出入り口も増えて使いやすさも追求されたせいか,雰囲気は少しおしゃれになってきて,最近は人の流れもだいぶ「疎」になってきて,以前のような「急流」ではなく,悠然と流れる「大河」のようにも感じられるのも事実であるが,相も変わらず,自分にとって「落ち着く」場所であることに変わりはない。

 現状が変わり,日々の生活が元に戻った頃に,ぜひ訪れてみてほしい場所である。

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