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僕が見た変哲


図書館はすごい。無料なのに広告がないからだ。

現代では無料のものにはどれもこれも広告が表示されるし、映画館に至っては有料のチケットを購入しても冒頭にCMが流れる。

図書館の仕組みは昔から変わっていないのに、世の中が広告だらけになったことで勝手に株が上がったのだ。

図書館はすごい。だからますます図書館を利用する僕だけど、夏は本を借りるだけでなくラウンジを利用して館内で本を読む。本も無料、館内の冷涼も無料、このために日々労働・納税に勤しんでいると言っても過言ではない。

2022年の夏も外は暑くて、図書館は涼しかった。

いつものように本を借りた後で1階のラウンジに移動し、「休日だからやや混んでるなあ…」と思いながら自動販売機に向かう。「別に平日の混み具合知らないでしょ」と言わんばかりにぶっきらぼうに落下してくるジュースを丁寧に拾い、隅っこの座席に着く。

ここは読書の他、勉強やPC作業などをして良い場所で、自動販売機があるからおそらく飲食もして良いし、常識の範囲内であれば会話をしても良いのだと思う。みなが文明人としての分別を弁えずに、勝手に飲み・食い・会話しているだけの可能性もあるけど。

最小単位の座席は2人席で、小さな丸テーブルを挟むように椅子が2つある。小さくて丸いものは押し並べて良いもの。みかんも、オカリナの穴も、まち針の頭のプラスチックも。

本当はこの2人席でさえ、1人で利用するのはバツが悪いのだけど、他の広い席に座るよりはマシなのでここに座る他ない。もちろん申し訳なさそうな顔をしている。

さて、そんな様相で本を読んでいると、隣の席に小学生が1人座った。彼もまた2人席を1人で利用しているが、空いた一方の席に鞄を置いて占領するなど、無邪気さゆえに堂々としている。自分は一体いつどこにこの無邪気さを置いてきてしまったのだろうか、なんて思いながら本の続きに目を落とすが、しかし当然ながらこの本にそんなことは書いていないし、別に答えを求めたわけでもない。

しばらくすると不意に少年に話しかけられた。
「ねえ、この漢字なんて読むの?」
開いたページの一文字を指差す少年は、恥ずかしそうでもなく、しかし臆する様子でもない。突然話しかけられたことで動揺したが、少なくとも小学生から見て怪しい大人だと思われていないということが嬉しくて、毛先をつまむ。(自分の、ですよ)

彼が指差す文字を見て、
「"ほお"だよ」
と自分の頬をさすりながら答えた。
すると少年はしばらく「頬」と言う文字を見つめた後で、あからさまに納得したように小さく何度か頷いた。

その後すぐに、
「漢字、全部知ってるの?」
と聞いたのは同じく彼で、いたって真顔だった。

僕はと言うと対照的に目を丸くした。なんだ。なんなのだ。その質問は。

僕は子供が苦手な方なのだが、その理由の1つが「過剰な純粋さ」である。何もかもに興味があるようでありながら、実際のところは何にも興味がないような。

「漢字、全部知ってるの?」
そんなこと聞くだろうか?普通。少なくとも大人の喉からは出てこない言葉であり、大人の脳みそからは出てこない発想である。

呆気に取られて少しの逡巡、そして、
「なんでも知ってるよ、漢字」
と答えた。わざと得意げな表情をしていたに違いない。

きゃっきゃっと喜ぶかと思っていたが、少年は真顔で呆然としていた。そして僕に聞こえるけど、僕に対してではなくあくまで独り言として「すげっ」と呟いて読書に戻った。だから僕も読書に戻るのであった。

見ても聞いてもいないけど、学年はおそらく3,4年生くらいに思う。低学年ほどの煩わしさはなく、また高学年ほどの自意識もそこにはなく見えた。

ちなみに彼が読んでいたのは名探偵コナンの小説版。学校の名前が印字されていたから、この図書館で借りたものではない。きっと名探偵コナンの表紙を見つけて借りたものの、開くとびっしり細かい文字の羅列があるものだから驚いたことだろう。しかしちゃんと読むのが偉い。

***

翌週の僕も同じ席で違う本を読んでいた。
近くのスーパーで購入したピノを食べながら。
夏を彷彿とさせるアイスは氷菓子であるべきな気もするが、なぜか夏といえばピノを食べたくなる。

そういえばずっと昔に塩味のピノが発売されていたけれど、あれは夏を掠め取ったような良さで虜になった記憶がある。再販してくれないだろうか。なんてことを考えていると「俺もお母さんがピノ買ってくれるよ」と例の小学生がやってきて、彼も先週と同じ席に座るものだからまたも隣り合わせになった。普通に話しかけてくるし、普通に隣座るんだな。

その日の彼は夏の宿題と悪戦苦闘しているようだった。僕は読書、彼は宿題を黙々と進めて、しばらく経った頃、「はあ〜」とわざとらしいため息をついて鉛筆を置く音がした。ちぎられてぼろぼろに分裂している消しゴムが、あまりにも小学生でたまらない。

「ねえ、ねえ」
さも当然のようにこちらに話しかけてくるが、一応ポーズとして「僕?」と人差し指で自分を指しながら振り向く。

「ねえ、雲と煙ってなんで似てるの?」
「お前に向けて言ってるぞ」と目で流暢に語っている。机上にある乱雑なテキストは算数なので、この質問は宿題と一切合切関係がない。気休めに窓の外でも眺めながら思いついたのだろうか? 子供はいつも思考が散らかっているのだ。

「雲?と煙?」
「そう、似てるじゃん」
「すごい、確かに似てるね。でもなんでだろうね?ごめん、わかんないな」
相変わらず絶妙な観点だなあ、と感心する。

「なんでわかんない」とぼそっと呟きながら、彼は鉛筆を手に取って、しかし宿題をするわけでもなく消しゴムに刺したりしていた。広げられた宿題の表紙にはポップなフォントで「計算ドリル」と書かれており、彼の生活を彩るのはこんなフォントばかりなのだろうと思ったりした。

僕は煙も知っているし、もちろん雲も知っているし、彼より長く生きているし、たくさん本を読んでいるのに分からなかった。なんで分からないのかを考えると、それはそもそも答えがないからだと思う。雲と煙に因果はない。

因果はないのに似てるものはいっぱいある。

親戚でもないのに顔が似てる人がたまに存在していて、バラエティ番組なんかでは芸能人にそっくりな一般人を集めた企画もよく見る。あれは怖いよね。顔が似るのは遺伝子、DNAとかで説明されている上で、それらをすっ飛ばしてなんの因果もないのに似ている。反例があるなら、顔のパーツが遺伝子に起因するって認めちゃっていいのか?とまで思う。他人なのに顔が似ている人は怖い。

話が逸れた。その後も彼が度々話しかけてくるので、まるで読書が進まない。それでも彼の話がいちいち珍妙なので、病みつきになっている僕が反応してしまう。

一応、知らない人に話しかけられた、とPTAで問題になる可能性を恐れて、こちらから話しかけることはない。彼の中で僕という大人はどんな認識なんだろうか。

閉館のアナウンスを聞きながら席を立つ時、今日はいい日だと思った。7月の17時の空はまだ明るくて、雲は濃厚な白でそれが煙みたいだった。

***

翌週は図書館に行かなかった。

その次の週はまたいつもの席に座る。もはや彼が来るのを心待ちにしている自分がいたので、隣の席に若い男性がノートパソコンを置いた瞬間、この心は限りなく不透明に近いブルーな気持ちになったが、「本を読みにきているわけで…」と自分に言い聞かせて平常心を保つ。

このいかにも仕事ができそうな男も過去には小学生だったわけですが、ということは音楽の時間にカスタネットを小粋に叩いていたのだろうか。まるで想像ができない。知らない人に「雲と煙ってなんで似てるの?」と聞いたりしたのだろうか。

完全に読書への集中力が削がれてしまったので、今日は早めに帰ろうかと思いかけた頃、例の小学生はついにやってきた。なかなか先生が来ないと思ったら急遽自習になった授業のような高揚感。せめて表情に出ないようにと唾を飲み込んでシャキッとする。

いつもの席が空いていないのを見るや否や、彼は僕の正面の椅子に座った。なんと相席である。

慣れた手つきで鞄から宿題を取り出し、小さな丸テーブルの上を無秩序にしていく。「読書感想文書かなきゃ先生に怒られる」などと呟いている。なぜ急に距離が(精神的にも物理的にも)縮まったのかは分からないがさておき、2人席を1人で利用する後ろめたさが解消されるのでありがたい。

「なんでこの前はいなかったの?」
自然と話しかけてくる。当然のように相席してきたのでそりゃそうか。
「先週はお仕事で東京に行ってたから」
「ふーん、東京ってすごかった?」
有名人いた?とかスカイツリー見た?とかではなく、東京のすごさを問われた僕は、
「すごいよ。ドンキホーテの徒歩5分圏内にドンキホーテがあった」
と答える。彼は訝しげな顔でこちらを見た。
「ドンキホーテって何?」
スマホでドンキホーテのマスコットキャラクターであるペンギンの画像を検索して見せたが「知らない」と言われて話は終わった。

それからはなぜか彼が宇宙の話を語りだしたのでそれを聞いていた。本なんか読めたものじゃない。人が火星に行けるようになるかもしれないという話を、真剣に語っている。
「何で人は火星に行こうとしてるの?」
と質問してみたら、うーんとしばらく考え込んで、
「この地球は人には狭すぎるから」
と言った。かっこよすぎるだろ。

この手の話、最近知ったから喋りたくてたまらないんだろうなと思うと微笑ましく、口角がニッと上がるが彼は僕の口角なんか見ていない。見る必要もない。

「これ絶対書かなきゃいけないやつ」「読んでいいよ」と言って夏休み恒例の一行日記を見せてくれた。僕が小学生の頃もあったなと懐かしむ。

「お腹が痛くて薬を飲んだらまずかった」
「絵を描いて捨てた」
「お店で〇〇くんのお母さんに会った」

など書かれていた。もはや言う必要もないがやっぱりこの子の感性、ひいては子供の感性の豊かさには感心するばかりだ。図書館にいる彼しか知らなかったけれど、そういえばしっかり夏休みしているんだということが分かって、なぜか僕が嬉しいのはおかしい。

***

翌週も僕は同じ席で本を読んでいた。

彼は来なかった。

まだまだ日照りも空模様も夏だけど、スマホのカレンダーを見ると確かに夏休みは終わりだ。彼は来ない。

変哲な少年だった。

子供はみんなああなのか、彼が独自のリズムで会話しているのか、分からないし分かりたくもないし分かる必要もないんだけど、ただただ楽しい1ヶ月だったなと思う。だから妙な喪失感もある。


彼も今頃普通に学校に通っているのだろう。

走っている廊下で先生と出くわした瞬間だけ咄嗟にぎこちない早歩きをして、しかし結局怒られたりしているのだろう。何気ない休み時間に友達と「学校の水道水たまに不味い時あるよね」と話したりしているのだろう。

変哲な少年よ、煙と雲が似ている理由がもし分かったら、お兄さんにも教えてくれよな。


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