たぬ@海外精子バンクのドナー精子で親になった無精子症患者

https://x.com/wgyzg8jhnj63316 法律系。2021 29歳で…

たぬ@海外精子バンクのドナー精子で親になった無精子症患者

https://x.com/wgyzg8jhnj63316 法律系。2021 29歳で非閉塞性無精子症(AZF-b欠失)発覚→2022.7 Micro-TESE✗→海外精子バンクの顕名ドナー精子でIVF-D (ICSI)→2024.5DD🎀🎀予定

最近の記事

無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(9・完) ドナー利用に対する批判について

不妊治療は「親のエゴ」なのかドナーの利用に限らず、不妊治療には、「親のエゴ」だという批判があると聞きます。 私は、それを否定できませんし、否定しません。私の子どもが欲しいという思いには、妻が苦しんでほしくない、自分も妻が苦しむ姿を見たくないし妻に恨まれたくないという思いは含まれていたと思います。 でも、それはドナーの利用や不妊治療の問題ではなく、およそ、子どもを生むことについての問題です。全ての子どもたちは、自らの意思で生まれてくるわけではなく、生まれる時代も場所も環境も、自

    • 無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(8) 当事者としての思い

      無精子症の辛さ無精子症は、命にも日常生活にも、まったく影響がない病気です。 TESEをすれば痛みはありますが、私の場合は、あまり時間を要することなく、傷口は治り、痛みはなくなりました。 もちろん、自分の遺伝学上の子を作れないのは悲しいですが、自分ひとりであれば、自分の体のことだから仕方がない、むしろ、命に関わるような病気でなかっただけ幸運だったと諦められる問題でした。 私にとって最も辛かったのは、ただ、自分が最も幸せにしたいと願ったはずの妻に対し、普通の幸せを与えられること

      • 無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(7) 治療の終わりと子どもたちを待つ日々

        治療の終わり赴任先のクリニックの知識や能力、設備には当初からかなり不安はありました。 日本の有名クリニックの医師や設備の水準を知っている中で、それと比較すべくもない医療のクオリティの低さと、反対の意味で比較すべくもない医療費の高さに、海外の医療事情の厳しさを思い知らされました。 それでも、通院していたクリニックは、赴任先の中では破格と言える安い診療報酬で受けてくれていたので、予算に限りがある中では、他に転院しようもない状況でした。 行き詰まっていたところで、妻が、友人から、

        • 無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(6) 海外での治療

          ドナーによる治療の環境私と妻は、ぼろぼろの状態のまま、それでも何とか準備をして、TESEから1か月もしないうちに日本を離れました。 このタイミングでの海外行きは大変でしたが、幸運でもありました。海外では、精子バンクが充実しており、精子バンクを使った不妊治療も一般的だからです。これに対し、日本では、旧厚生省の行政指導及び医学会の自主規制により、ドナー精子の利用が厳しく制限されており(実施までの経緯 | JISART(日本生殖補助医療標準化機関))(なお、本国会に提出予定とされ

        無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(9・完) ドナー利用に対する批判について

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(5) TESE(精子採取のための手術)の不成功

          TESEの不成功幸せな1か月 転院先のクリニックでは、TESEに先立って検査を行いました。 新婚旅行の初日、クリニックから電話があり、検査の結果、精子があるのでTESEを実施すると伝えられた私は、妻と抱き合って喜びました。 新婚旅行からTESEまでの1ヶ月弱、私と妻は、私の無精子症が見つかる前のような、本当に晴れやかで幸せな気持ちで楽しみました。 後に、妻は、この幸せな1ヶ月弱は、私たちが普通の新婚カップルみたいに過ごせるようにしてくれた、神様からのプレゼントだったんだ、

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(5) TESE(精子採取のための手術)の不成功

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(4) TESE(精子採取のための手術)の実施まで

          TESE実施の決定と転院TESE実施の決定  確定診断から約1ヶ月後、私は、Micro-TESE(精子採取のための手術。以下「TESE」)の可否の検討結果を聞くため、再度男性不妊外来を受診しました。 担当医は、カンファレンスの結果、私のTESEを実施することになったとして、TESEの日程を予約させてくれました。 私の希望は辛うじて繋がったのです。 そのときの病院帰りは、妻と、「はじめて、病院から良いニュースを持って帰れたね」と笑い合いました。 TESEのキャンセルと転院

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(4) TESE(精子採取のための手術)の実施まで

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(3) 遺伝子(Y染色体AZF-b領域微小欠失)異常の発覚

          遺伝子異常の発覚男性不妊外来の受診  紹介先の総合病院の男性不妊外来は混雑していてなかなか予約が取れず、はじめて受診したのは、最初の検査から約3ヶ月後のことでした。 紹介先では、まず、原因を調べるための詳細な検査をすることになりました。健康保険適用の検査と適用外の検査を受けて、保険適用外の検査の高額さに驚きました。 遺伝子異常の発覚 検査結果を聞きに行くときは、妻も付き添いました。 コロナ禍のため、患者本人しか待合室に入れなかったので、妻には呼出しまで院内のカフェで待

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          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(2) 妻との出会い~無精子症の発覚

          妻との出会いもともと、私は、自分が無性愛者なのではないかと思っていた程度には、パートナーとの交際に興味がありませんでした。しかし、30歳が迫る中であらためて将来を考えたとき、自分が生涯独りでいられるほど孤独を好んでいるわけではないことに気付き、いわゆる婚活を始めました。 正直に言えば、私が本当に欲しかったのは子どもであり、パートナーではありませんでした。もちろん、パートナーをないがしろにするつもりはなく、パートナーにするからには、その相手を精一杯尊重し、その相手に人生を捧げ

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          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(1) 自己紹介・手記を書く理由

          自己紹介 私は、30台前半の男性です。 29歳のとき、同い年の妻と婚約及び入籍し、入籍後わずか数か月で遺伝子異常(Y染色体AZF-b領域一部欠失)による先天性の非閉塞性無精子症と診断されました。治療を試みるも成功に至らず、海外ドナーバンクのドナー精子の利用を選択し、現在、妻が女児の双子を妊娠中です。 今回、私は、100人に1人程度の病気とされる無精子症の患者として、また、ドナーにより生まれる(生まれた)子の親として、これまでに体験したことや私の思いを手記にまとめることにし

          無精子症の私がdonor-conceived childrenの親になるまで(1) 自己紹介・手記を書く理由