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人との関係

旅で色んな国や文化の人たちに出会えば出会うほど、社交辞令はみんなするし、本音と建前もどこでも存在することを痛感する。

真面目な人、シャイな人、面白くない人、ダサい人、ハッキリしない人、文句ばかり言う人、他力本願な人、と普通に存在していて日本人でもその他の国々の人たちでも同じことに気づく。

日本人はシャイなので初めての人といきなり気軽に話せない人多いけど気軽に話せるからといって人間関係が深いのかとかコミュニケーション能力があるかとかそういうことは全く別のところにある気がする。

結局誰もがコミュニケーションというものに対してスムーズじゃない何かを抱えながら何とかやっていこうとしているんじゃあないかしら。

20代に海外旅行を沢山したせいで世界の色んなところに友達ができた。いつ再会できるのかわからないままフレンドシップを維持しているのが正直うっとおしかったり思えることもある。「もう面倒だ!」と放り出したくなる時もあれば素敵だとぎゅっと抱きしめたくなることもある。

人との関係はそれ自体が一つの性格のように対極のものが表裏一体になっていて、100%完璧でないだけに愛おしくなれるものだと思う。
前はもっと絶対的なものを求めていて、自分が最終的に選ぶ『この人』という相手はきっとそういう絶対的なものを持っていて何でも一緒に築ける相手だと信じていた。

今はもう少し自分が周りの人たちに対して優しくなれている気がする。それは完璧でなくとも受け入れて愛してみようとか、それを自分なりに精一杯慈しもうとかそいういうことだろうか。

昔は格好つけだと嫌だとか、そういうことが人を見る基準になっていたけど、今はそんなことより自分と何かをシェアする気持ちを相手が持っているか、温かい心かとかそういうことの方が重要になっている。それが人を見る一番の基準であって正しいと思うくらいに。つまり温かさを感じれる以上私はその人に対して肯定的でありたいなぁと思うの。精一杯もがく人である以上結果はついてこなくても構わない。

私、勝手に完全なる主観で同じことをしていても「この人だとオッケー/許せない」とか「この人だと腹が立つ/立たない」とかあって超不公平。でも今はそういう自分が誰にでも公平であろうとした頃の自分より何十倍も好き。

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