見出し画像

「英語が話せない日本人」を誇る私

うちの親は二人とも学校の教師で第二次世界大戦後に生まれた世代。丁度アメリカから色んなものが入ってきた時代で戦争に負けたのもあって、日本はダメ、アメリカ(西洋)はすごいっていうのを刷り込まれてきたアメリカナイズされた世代の人たちでもある。

自分の子供が英語が話せるっていうのが父親の夢でもあって、私が高校卒業後海外へ行くと言った時は心配皆無で大喜びで放り出された。幼い頃は父から「日本はアメリカを超えた貿易黒字国なのに英語が話せるビジネスマンや社長がほとんどいない」とか「英語が話せないのは『国際人』としての教養がない」とか、「日本人の英語力は先進国で最下位で恥ずかしい」とか相当聞かされて育ったので、無意識のうちに英語が話せるようになる、海外へ行くっていうのは幼い私の脳に刷り込まれていたに違いない。気がつけば自分は大人になったら海外へ行くんだろうと何の根拠もなく信じていた。


学校の授業では英語はそこそこできたのに十八歳で初めて日本を出た時はほとんど英語が話せなかった。その後ギリギリ三十歳寸前でワーホリを取ってオーストラリアに来た時は大分話せていたと思う。

ところで私はイタリア語も少しわかる。海外を放浪していた時にイタリアへ行ったら英語が話せる人がおらず、自分がイタリア語を話し始めたほうが早いなと旅をしながら独学した。なんせ現地でどっぷりイタリア語に浸かっていたので三か月後には電話で会話したり、日記を書いたり、喧嘩したりできるぐらい上達していた。しかも現地仕込みなので、イタリア人から「君、イタリア人なの?!」と聞かれたこともしばしばある。今でこそ話さないのでごっそりと忘れてしまったけど、使い始めれば戻ってくる自信がどこかにある。


オーストラリアで出会ったワーホリの若者のほとんどがオーストラリアに来て初めて英語を話してたのに、その多くが三か月も経つと私と殆ど差がないぐらいに話せるようになっていた。話せるだけじゃなくてその会話の質の高さ。英語で冗談まで言ったり、難しい内容を理解したり、会話を持続したり、落ち込むことに、私が聞き取れなかった時に「この人こう言ってるんだよ」なんて教えてくれるまでに。

私が10年かけて上達させた英語のレベルが他の国から来たワーホリの子たちに三か月程度で追いつかれる。だからって落ち込んで自己嫌悪ってわけじゃなかった。


何故かというと、私が思うに日本人は滅茶苦茶頑張って英語を勉強している。そのために費やしている努力も時間も相当である。それでも英語が他の国から来たワーホリの若者たちのようにすぐに上達しない理由が怠惰なわけがない。努力が足りないわけがない。勉強不足のわけがない。まして能力が欠落してるわけでもない。

 単刀直入に言うと日本語と英語には共通点が皆無だからだ他国から来た人たちが英語の上達が早いのは英語と彼らの言語に共通点が何かしらあるからである。先に述べておくが、ここに書いてあることはあくまで私の経験からの事。オーストラリアで出会ったワーホリの若者はほとんどがヨーロッパ人、アメリカ、カナダ、南アメリカの国出身、後は台湾人になる。世界には英語と全く共通点の無い言語が日本語以外にもあるだろう。でもここでは日本語と英語に関してのみ書くことにする。


①文法の違い。

日本語のように主語+場所+~+動詞の形式で文章を作る言葉はあまりないように思う。韓国語は日本語と同じだと聞いたことがある。だったらきっと韓国人も英語を話すの苦労しているだろう。殆どの世界の言葉は主語+動詞+~+場所の形式を使う。英語でI go to the libraryというのはイタリア語ではIo(I) vado(go) in(to) libreria(the library)。ヨーロッパの言語は勿論、中国語だって(大学で二年間勉強しました)英語と全く同じ形式を使う。ぶっちゃけ英語の単語に入れ替えるだけで文章ができる

「日本人は頭で正しい文を作ってから話そうとするから話せないんだ。もっと文章が間違っていても気にせず何かとりあえず言え。他の国の人たちは文法が間違っていても気にせずバンバン話してる。日本人は真面目過ぎ。」なんて言う人いますけど、完全に文の成り立ちが違うんだから時間かかって当然だろう。母語語と英語の単語を入れ替えるだけでか文章が成り立つのとはわけが違う。他の国の人たちはそんな感じで時制の変化なんて無視でバンバン喋る。それぐらいだと相手が気を利かせて理解してくれるから通じることが多い。

日本人の真面目さもあるかもしれないけど、日本人の長所を批判するのもなんだろうなって。なんでも日本人がすると~しすぎ/しなさすぎって日本人を卑下するの間違ってる。


②日本人が学ばないといけないのは単語や文法だけじゃない。

日本人が英語を学ぶ時、単語や文法、発音に含めて表現の仕方を学ぶ必要があるつまり、日本語を英語に直訳しても意味が通じない。英語なりの表現を知らないといけない。どういうことかシンプルな例をいくつかあげてみる。

ドイツ語で「おはよう」は「Guten Morgen グーテン モーゲン/ Good Morning」。既に単語を見てもドイツ語と英語がどんなに似ているかわかる。Gutenはドイツ語でgood、Morgenはmorningに当たる単語。これも先の例と同じく、表現の仕方は英語とドイツ語は同じ。ただ単語をすり替えるだけでいい。日本語の「おはよう」はそうはいかない。

イタリア語を例に挙げると「Grazie グラッチィェ/ Thank you」と誰かに言われたら「Niente ニエンテ/ It's nothing」と返答する。Nienteはイタリア語でnothing という意味である。イタリア人はこの表現を学ぶ必要がない。イタリア語を英語に直訳して通じるからだ。それに比べて日本語の「どういたしまして」は英語に直訳できない。できたとしてネイティブが使う自然な英語として使えるかと言えば恐らくノーである。日本人は「英語でありがとうと言われたらIt's nothingと言い返せるんだ。」という表現から学ぶ必要がある。

あと、英語でよく使うfuckという単語。悪い表現だけでなく良い表現にも使われ、他の単語とくっついて色んな意味になるのでその用途は数えきれないほどある。ネイティブの使用頻度が高い生きた英単語だといえる。残念ながら日本語にはこれに当てはまる単語が存在しない。同じように使われてる言葉もない。「日本語でfuckってなんて言うの?」なんて言われると正直困る。そういうわけで日本人はこの単語の使い方を一から学習しないといけない。でも他の国の言葉の多くにはこれに相当する単語が存在する。そんな風に英語と日本語の間にはお互いに存在しない言葉が結構ある。

勿論他の国の言語にも英語とは徹底的に違う部分があるだろうと思う。だけどその違いと日本語と英語の違いを比べると、勝手ながらその違いは部分的なもの。共通点のほうがよっぽど多いのだ。単語にしたって、なんとなく似ているのや殆ど同じな単語がドイツ系やラテン系の単語にはいっぱいある。イタリア語を例にすると、英語のdelicateはイタリア語ではdelicato、英語のcomplicatedはイタリア語ではcomplicato。日本人が英単語やその使い方を丸暗記しざる得ないのとはわけが違うのだ。

そういうわけで日本人は英語を学ぶ時に表現方法から学ぶというヨーロッパ人よりも一段階上の努力を無意識に知らないうちにしている。例はちょっと極端にシンプルだけど、こんな段階で既に!っていうのがわかってもらえるかと思う。文章の成り立ちがより複雑になればなるほど、表現方法を学ぶっていうのは単純に英語を話すっていう行為に輪をかけて英語を理解するということに影響してくる。


③英語は話す言語/文化。日本語は書く言語/文化。

英語はどちらかというと、話す言語。違う言い方をすると話す文化。書くよりも話す言葉としてより洗練されている言語だと思う。逆に日本語は書くことがより洗練、発達している言語だと思う。

日本語に比べての発音の種類の多さとその複雑さ。日本語では母音は「ア、イ、ウ、エ、オ」とたった五音なのに比べて英語では16音ある。日本語では「ア」でひとまとめにされてしまう音も英語では四種類違う発音で区別される。子音も日本語では16音であるのに英語はやっぱり24音。日本語には存在しない音が英語には沢山ある。日本人が英語を聞き取るのに苦労するのは日本語に存在しない発音が沢山あるからである。

日本語ではいつも単語の頭につく強弱アクセントも英語によっては単語によって変化する。頭についたり、途中についたり語尾についたりと入る位置が単語によってちがう。日本人にとっては英語を話す時点でのハードルは既にこれだけで高い。


逆に書く英語というのは日本語に比べたら随分と直球ストレートでわかりやすい。アルファベットが26字なのに対して平仮名は46字。それに加えてカタカナと漢字がある。日本人はこの三つを使い分けて文章を書く。英語が話せないし聞き取れないけど、書いてもらえれば理解できるっていう人多いじゃないですか。それは日本語の読み書きが英語よりも複雑だから英語の文章は結構すんなりと入ってくる。

なにより英語っていうのは文を読んだだけでは、その話し手が男か女か、何歳ぐらいの人か、どんな態度、ムード、トーンで言ってるのかなど全くわからない。なんせ「わたくし、自分、わたし、俺、うち、わし、あたい、僕」全部「I」で表現されるし、日本語では文の最後に付く話し手のニュアンスを加える音「だろ、だね、ね、なの、よ」なんかもない。
I love this book. を読んだところで話し手の人物像が見えてこない。日本語だと「あたしこの本が好きなの」「僕はこの本が好きなんだ」「ワシはこの本が好きなんじゃ」と英語では同じ文章でも日本語に翻訳すると話し手の人物像をかなり読み手に伝えることになる。


そして何よりこの洗練された日本語が海外の人から「日本人は表現に乏しい」と言われる原因の一つだと私は思っている。上に書いたのと同じ理由で、英語では伝えきれない話し手の人物像に関する情報、どんな気持ちやニュアンスで言ってるのかを声のトーンや、表情で補って聞き手に伝えるようになっている。日本語はそれが既に言葉の中に含まれているので表情やトーンで伝える必要が英語ほどないのである。日本人が表現力が乏しいとか相手に伝えようという感情が希薄だとかは全く筋違いの解釈だ。


最後に

そういうわけで私は英語が話せない日本人が愛おしい。全然恥ずかしくなんかない。むしろ「すごい頑張ってる!」と私はいつも自分を滅茶苦茶誇らしく思う。海外へ出るとたまに日本語を話せる人に出くわす。オーストラリアにも割と日本語を勉強したという人たちが多く、流暢に話す上級者もいる。だけど今までに一度も私は日本語を流暢に読み書きする外国人に出会ったことがない。いるんだろうが出会ってないということは滅茶苦茶少ないんだろうなと思っている。書く文化から来た日本人が英語を話すということは、話す文化から来た英語圏の人が日本語を読み書きするぐらい難しいことだと私は思っている。そう考えると日本人がかなりの偉大なことをやっているのがわかる。現在英語を勉強している人、上手く話せないと葛藤している人いると思いますが、是非自分のこと褒めてあげて。







photo by Siora Photography


サポートしてくれてありがとう。自分の創作活動にあてます。