みんな違ってどうでもいい

ブログを開いていただき、ありがとうございます。
凜音です。

今回は、私の価値観の一つである「みんな違ってどうでもいい」を紹介します。
私がこの価値観を持ち、どのように日々生きているかを書こうと思います。

基本、他人を肯定も否定もしない

みなさんは「みんな違ってみんないい」という言葉を、一度は耳にしたことがあると思います。今回のテーマである「みんな違ってどうでも良い」との違いは、前者は肯定し否定しないのに対して、後者は否定をしなければ肯定すらもしないというところです。

そのため相手の趣味や思想、価値観を聞いて自分がどう思うかは別として、肯定も否定もしません。「私も好き・嫌い」と感想を述べたり、話を広げるために深掘りすることもありますが、基本的に「なるほどね。あなたはこうなのね。」で終わることが多いです。

自分が良いと思ったものは取り入れる

しかし、ごく稀に自分が良いと思うものもあります。そのようなものを持っている人に出会った際は、取り入れることにしています。

分かりやすいよう、趣味で例えます。今現在、私は櫻坂46が好きです。好きになったきっかけは、大学時代に友人と課題をしていた際、友人が『不協和音』を流していたことでした。(当時はまだ改名前の欅坂46でした)

この場合、友人から不協和音(欅坂46)を勧められたわけではありません。しかし、友人から勧められた趣味などを自分も好きになったという経験があると思います。それはあなたが、相手の趣味に魅力を感じた(良いと思った)からですよね?

ここでは趣味で例えましたが、思想や価値観、生き方でも同様です。これまで、他者から聞いた考え方を取り入れたことで、楽に人と関わることができるようになったこともありました。

押し付けられることを忌み嫌う

私は他者から、何かを押し付けられることがとても嫌いです。自分自身が押し付けられるのも嫌ですが、相手に何かを押し付けている人を見ても不快になります。

ここまで押し付けられることが嫌いになったのは、大学時代のサークルでの経験にあると思います。

1学年上の先輩から、私たちの学年全体に「ある1人の家で川の字で寝たことがある(同期とそのくらい仲良くなりなさい)」と言われたことがあります。

実際私たちの学年は、それぞれの家の位置はバラバラであったので、互いの家に行き来するということが滅多にありませんでした。
また私は、親から入学前にトラブルにならないために異性を自分の家にあげないよう言われていました。加えて、私自身他人を家にあげることを好みません。

他の同期が他人を家にあげることについて、どのように思っているのかは知りません。しかし私は、「学年を構成している各個人が異なり、集団も異なるのにどうして同じようになれると思っているのだろう」と思い、かなり不快でした。

これ以外にも、先輩から価値観を押し付けられるようなことは少なからずありました。
そのため、後輩には同じような思いをさせないよう、私たちが価値観などを押し付けるようなことはしませんでした。

「自分がされて嫌なことを他人にしない」というスタンスでいることに加え、この経験があったので、自分の趣味や思想、価値観を後輩のみならず任意の他者に押し付けることはしません。


相手のことを否定すれば、嫌われてしまいます。しかし肯定すれば好かれるものの、自分が良いと思っていないものまで肯定するのは疲れてしまいます。

そのため、相手を否定せず、良いと思ったものだけを肯定するのが丁度良いのではないかと思います。


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それではまた。


りおと

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