連休日誌1230 記憶はバラバラにして燻す

年末には長いハッシュタグがよく似合う。
あっちもこっちも1年を4枚の写真と140字の文章にまとめたがる。

こちとらは何でもかんでも流行りに乗るのは好まない割に、人が楽しそうにやってる事は気になるような、内なるミーハー心を抱えたねじれガール。
「みんなSNS使って楽しそうに年末過ごしてるな...」と思いつつも、SNSの奴隷にはなるまいという謎の抵抗心と、毎年中途半端に格闘しがちである。


ただでさえ、キョロキョロ後ろを振り返って不審者がいないか警戒しながら歩きがちな日々。
いつも後ろを振り返りすぎてて、いちいち「懐かしいなあ」と言っていられない。
時の流れの早さに焦ることも、山積みの人生の課題の高さに憂うことも、毎日飽きずにしてしまう。
思春期女子中学生もきっと心に住み着いているに違いない。

365日もある1年間をまとめることは、一時一時の解像度を下げることだと感じる。
まぁ、一つ一つハッキリ記憶を保存しておけるなら、日々スマホの画像の保存容量を気にすることなく過ごせるだろう。


去年の年末は、例年より一層鬱々としていた。
氷結とサバ缶をちびちびやって、駄々をこねたら2020年なんか来なくならないかな、と考えていた。
未だ見ぬ東京オリンピックが憎かった。
人が溢れる満員電車、興味がない番組が並ぶテレビ、ついていけない雑談、熱狂のせいか温暖化のせいか益々気温の上がる夏、大人になりたくない23歳の自分。
だけども、そんな2020年は来なかった。
予定通りだったのは、自分が年を1つ重ねたことだけ。


11月、ふと「今年ってあと何年続くんだろ」と思った。
その後、「今年があと1ヶ月で終わる」ということに気づいて、とびきり喜んだ。
2020年は終わる。2021年にもきっと自分は生きていられる。
東京オリンピックが開催されるかどうかは分からないけど、人が溢れる東京はきっと来年も存在しない。
陰鬱な自分は、それで生きていられる。
同じ引きこもるでも、外の喧騒が聞こえてこない方がいい。


楽しみにしていた人はずっと残念がっているのかしら。無念だろうな。
自分も悔しい思いをしているのに、それで喜ぶのはひどく勝手だ。
だけどさ、「体育会系って全体を取り込んで巻き込むことがさも当然だと思ってない?」とつい思っちゃう。積年の恨みって嫌だわね。


来年は24歳になる。
23歳は、自分の欲しいもののいくつかを諦め始めなければ成り立たないのではないかと、うっすら思っていた。
それで23歳になりたくなかった。

実際に、いくつかの大事なものと欲しかったものを手放した。その後に新しく欲しいものを探した。
お金を貯めれば、ある程度の欲しいものは買えることが分かってきたけど、反対にどんなに旅に憧れても今は遠くへ行けなくて、心が遠くへ旅に出て体は留守番を食らう。
良くも悪くも、自分がいくつかの諦めを受け入れることに対して、コロナが重なったのはちょうどよかった。

ちょうどいいって言葉、最近あんまりポジティブな使い方できない。


長い日誌だな。

想像通り体はバキバキだったが、眠りにつく時が一番ひどく、起床後は動けないというほどではなかった。
今日も昼からプリチャン。
欲しいコーデは揃わないのにダブりがしんどい。だがそれもまた一興。
何故か毎日のようにスーパーへ行ってしまう。
ファジーネーブルを作る。美味しい。
やっぱりスクリュードライバーが飲みたいから、明日はウォッカを買おうかしら。

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