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一番やりたいことを認める(4)

4本目でようやく締められそうです。


1つ気づいたことがある。

私のやりたいことは、私を楽しませてくれない。
一番やりたいことは、面白くなってくれない。

グッズを買っても綺麗に飾り付けられないし、
お気に入りの服は沢山着てるうちにボタンが取れたりするし、
ノートの隅の落書きすらもしなくなったし、
自分の話すことも、書くことも、全く、全く、つまらなくなってしまった。

やりたいことはできないことに、
できないことはやりたくないことになっていく。
結婚相手の理想が高すぎて結婚できないアラサー女子もののドラマみたいになってる(例えそれでいいのか)。

課題を乗り越えるのが好きな子供だったはずだった。
これは多分なんだけど、重たいものを持つのは好きだった。物理的なやつ。
確かに筋トレは嫌いなんだけれども、
「いま自分の能力を少し越えることしてるなー」っていう状況が好きな子だった。ふしぎだね。
そうしてるうち、周りの優しい人が様子を見て、「代わろうか?」って言ってくれるようになって、そういう時なにを考えるかというと、
・人の好意を無碍にしてはいけない
・きっとこの様子を見ていられなくて言ってくれたのだ
・ここでさらっと感謝しつつ優しさに甘えるくらいの可愛げを持たないのは恐らく勿体ない
・(さらに集団で作業をしてる時とかは)これ迷惑かけてるからできる人に代わった方が全体のためにいいやつだ
とかまで考えて、頭を下げてお願いをする。自意識さんは一回黙っていてほしい。

得意な人が得意なことをすべきだ。
意地は、うまく使える人が使う分にはいいだろうけど、
実際に能力がない者の意地はただただ邪魔だ。
できないことにしがみつくな。
自分を嫌いにならないために、自分は、自分のできることで生きていこう。

できないないことはやらなくていい、という甘えと優しさに寄りかかって、きっと色んなものがやりたくないものの分類に押し込まれた。


高校生の時、校外学習のキャンプで、
火が苦手だから火元にあまり近づきたくないので、野菜の皮むきをしてた。のんびり。のんびり。
同じ班の女の子が「りおちゃん大丈夫?代わろうか?」と、100%の善意で言ってくれた。
「あ、これ遅すぎて迷惑なんだな」とすぐに気づいて途中でお願いしたら、みるみるうちに材料が切り分けられていった。
すごいなあ、普段からやってんだろうな。見るからに、女子力を結集しました、みたいな子だもんな。ほら、ふざけて怪我した男子の為に絆創膏もすぐ出てくる。
私はすることがなくなって、話し相手も近くにいなかったので、5分に1回くらいご飯の炊き加減を見にいく振りをして過ごした。
調理に比べて洗い物って一瞬で終わっちゃうんだよね。

できないと思うことがいっぱいあるのは、それはもうしょうがない。
しょうがないから、マイペースなとこだけ、なるべく解消しようと思った。


きっとだけど、一番やりたいことは、やりたくないことにあるのでは。
そうだ、この前劇団員に言って付き合わせたことがある。
私、悪いことがしたい。

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