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ただ生きることの解放と進退

なりたい私が本当の私とするならば、
ただありのままでいる時は、「ただ生きる」状態だと、私の言葉で仮に定義する。

出演予定がないとか、オーディション受けたりもしてないとかの役者ないしは創作表現活動的なところで、ざっくり言うと「なんもしてない」状態。
長引くコロナ禍でそんな状況に慣れてくると、「ただ生きる」ことへの抵抗感は薄れてきた。

実質のところ、いま必要だと思うことをするためにこのように過ごしているけど、以前は停滞と読んでいたこの状況を、「解放」と呼ぶこともできそうだ。

「何者でもない私」は年々縮小していって、存在感がぼけていく。もっとも、ふとした曇天の朝方にハッキリ現れることもある。

私のなりたい「何者か」を、自分で選択するのは恐い。
選択しない、ただ漂うことができるのは、いまの自分に許されてる特権かも、しれない。

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