一番好きな人を認める

ここからが難しい。
自己について考えるのはもう趣味である。
電車に乗っている時も、仕事中にお手洗いに立った時も、
チラシを折り込んでいる時も、自分とは何かと考え始める。
特に折り込み中は最高のシチュエーションだ。

なんだけど、
自己と比べた時に他者というものに、基本的にあまり興味がない。
人間という生き物は大好きなんだけども。うーむ。
興味のある人間……なんだ……?

あ、私のことを好きな人は好きですね。
(なんかクズくさいな)
いきなり一番の正解じゃない?
もうこれ以上に適当なものが浮かばないくらいのドンピシャ感がある。

推しを推したらしめる要件はおそらくいくつかある。でも多分そういうことではない気がする。
推しと私との間は、基本的に切り離されているという意識がある。
物語の中の人間に対してもそうだ。
尊敬される思想。理想的な人生。ドラマチックな出会い。
それらは憧れこそすれ、介入したいという種の好きではないような。

自分と他者との関係の構築を言い表せる日本語。
介入。好意。接触。
恐ろしい日本語だな。鳥肌立っちゃう。

縁と運とタイミング、あとまあ物事の継続とでなんとか世を渡ってきたような自覚があるんだけども、
「縁」という言葉。現実においては「愛」とかと同じくらい幻想的なもので、
結局同じタイミングで向き合ったというだけのものじゃないのか。(日本語不自由)
人生の中で何度も頻繁にご縁に感謝できる人には、
私には見えないご縁の輪っかが見えているんじゃないかと思ってしまう。(根が暗い)

私が好きな人は私が自分のタイミングで決めるし、
誰かも誰かでその人のタイミングで繋ぎたい縁を選んでるのであれば、
ほんと、人と仲良くできるのって運とタイミングとしか言えなくないですか?(鬱々としがちな人見知り)

文章が繋がってなさすぎる、、、、いかに普段考えてないかが露呈してしまう、、、つら、、、、

私のこと好きな人には、
極細の縁をたどって私に好意を持ってくれてありがとう、、、という気持ちになります。
あと私の人権を大切に思ってくれる人が好きです。
(徹頭徹尾、自分が一番大事だという話じゃん、つらい)

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