一番やりたいことを認める(2)

私と私はいつ乖離したのか。
現実の私と、なりたい私の乖離。

前置きしておくんですが、不幸自慢がしたいわけではなく、
人に読ませられるようにきちんと文章化して認めたいのである。

という予防線を張ったぞ。私は今予防線をここに張りました!!!!ハイ!!!!!(思ったこと全部文字化するスタイル)


特定の子とべたべたくっつくのはあんまり好きじゃなくて、
いつも一緒の仲良しの子というのがクラスにいないことも多い。
体育でペアを作る時も「えーっと誰と組もうかな……」ってうろうろしてると、
同じようにうろうろしてる子がいて、「じゃあ一緒に組もっか」って。

そんな感じで教室の片隅同士で、なんとなく友達になることが多かった。

そんな子が学校に来なくなると、自然と教室で私も1人になる。

なんとなく学校来るの嫌になっちゃったのかなーくらいの呑気な私は、
学級会がたびたび開かれるようになるまで、クラスで起きていたことを全く知らなかった。

ボランティア団体を作りたいって言ってた、サバサバしてるけどいい子だった。
中学生だけで駄目って言われたから参加できなくなっちゃった、と言うと、その話はなくなってしまった。


1人1人別々に先生からの聞き取り調査が行われるようになって、
「学校来なくなった理由とか、何か悩んでるとか、聞いたことない?」と聞かれても、
本心から「何も聞いてないです」と答えるしかなくて、自分を含めたクラス全員が誰も信じられなくなった。
ここで起きたことを、お前たちは重く受け止めなきゃならないと先生たちが言っていても、
気付かなかったことへの責任はどうやって取ったらいいんだろう、と。
私たちは親友というほどの関係ではなかった。

その子は1学期の途中から学校に来なくなって、夏休み明けには、転校したと聞かされた。
何も知らず、何も出来ず、ぽつねんとした私が残った。


それからというもの、教室では怒ったり笑ったり人に話しかけたりというのをしなくなった。
ここでは誰一人として受け入れたくなかった。
誰が実行していて、誰が目撃していて、誰が噂していたのかも知らないけど、
疑わしきは全て睨みつけた。
放課後、部室に入ると、1日の緊張感を一気に開放して、舞台のことだけ考えた。
朝8時が近づくと、部屋の入り口でスクールバッグの前に正座したまま20分を過ごし、覚悟が決まったら、
10分遅刻して学校へ通っていた。
これでも中学校3年間は無欠席を死守した。


無欠席を守り抜いているというプライドと、「自分をがんばる」という教えと、「教室が嫌だったら部室に逃げておいで」という顧問の言葉で、
なんとか壊れるギリギリを保って過ごした。
でも、教室で無として感情を表に出さないように極めて努めた私と、
素の自分以上に感情をありのまま出すことが出来る舞台上の私は、どんどん別物になっていった。

現実の私と、なりたい私は、その時はっきりと乖離してしまった。


あの教室コミュニティから抜け出した今も、抜け出したいと思っている。
一番やりたいことが、抜け出すことなのか、
あるいはセーブしている心の中にあるのか、分からない。


後半答:一番やりたいことは、抜け出すこと?(暫定一番)

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