一番やりたいことを認める(3)

乖離した2つの私がそれぞれやりたいことならどうだ。

ある私は、キラキラした目を持って、
空が晴れなら草の上に寝転んで、
雨が降ったら部屋で読書して、
人に優しくすることを生きがいにして、
誰かのために一生懸命になって、
自信があって、人と話すのが好きで、
たまに気の利いたこと言って、
苦手なことは日々克服して、
落ち込んでも人の優しさに触れたら元気になって、
子供みたいなまんま大人になる。
毎日なんてことないものから、勝手に楽しいことを見つける。


……誰に植えつけられたんだ、これ。
いい子だね。
素直で単純で人を疑わない逆らわない「いい子」だ。
割と素直に書き出したら、想像以上にダメージがあった。
成人しても未だに「いい子」に固執していたことにも驚くし、
(想像以上に)これまで言語化してこなかったおかげで、この人物像から反する行動を取れば取るほど倫理的に外れていく、という認識が、【無意識化に】存在していた。

こっちの私は。
なるたけ堅実に、石橋は叩いて渡り、
危ない目には逢いたくないので、
初めての人はまず味方になり得るか疑ってかかり、
性悪説を信じ、
必要以上の公友関係は広げない。
ただどんな方向でも、
段階的にステップアップすることと継続することは大切にして、
そのために必要な環境の変化は受け入れ、
目標としたい人は定めておく(可能であれば良い影響を受けるために、目標とする人と同じ環境に揉まれにいく)。

ちゃんとしようとしてるー。ちゃんとした人間になろうとしてるー。
反対なようで、意外とそうでもない。
一生懸命いい子になろうとして、人波に揉まれて、自分だけを信じて堅実に生きていこう、ってなっただけだ、素直な流れだ。


全然、少しもやりたいことではないのでは?(迷子)

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