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戦争を考える 068 賢者と愚者?

017歴史は教養の柱、でも触れたが、日本の歴史教育の充実を、早急に強化すべきなのだ。何故か?歴史を知らないと、諸外国の言いなりになるだけではなくて、戦争の口実にも使われるからである。さらには、戦争の教訓プラス、戦訓も多少は知っておいたほうが良いと思う。兵力の逐次投入の愚とか、島嶼防衛の要とか、攻略目標の正しい設定とか、一つ間違えると、取り返しのつかない結果を招くことになる。戦略の間違いは、戦術では、決して挽回することは出来ない。今回でも、作戦目的、戦略目標の設定の巧拙によって、すでに明暗が分かれつつある。まさに、賢者か愚者かによって、結果は天地ほどの違いになってしまうのだ。

少し話は飛ぶが、「失楽園」を書いたミルトンには、「言論・出版の自由」(原田純訳)があり、名著と云われている。一部引用する。「~賢者は錬金術師のようにどんなくずの書物からでも金を集めることができます。愚者はどんな良い書物をもっていてもいなくても、愚者には変わりありません。賢者からは一つの知恵さえ奪うことはできません。愚者から奪おうとしても知恵がないため、奪う理由などないのです。~」自戒を込めてなのだが、テレビ等でコメントする人たちには、特に、知っておいて欲しい言葉である。あたかも賢者?を装っているのか、歴史も戦訓もあまり知らずに、よく言えるなと感じることしきりであるが、しかし最近、どうもマスメディアが、今回の侵攻の報道姿勢を少し?変えてきたように感じる。それにしても、まるで絶滅した恐竜のように、方針変換のその動作が、鈍重でありはしないか?

どうも、マウリポリの失敗を戦訓にせずに、同じことをセベロドネツクでもやっているように見える。報道されている範囲からの推測に過ぎないのだが…。やはり軍首脳が賢者でなければ、戦争には勝てない。逆に、相手の軍首脳が愚者であれば、何とか勝てるだろう。両者共に、賢者ならば、どうなるのか?川中島合戦のようになるかもしれない。或いは、愚者同士ならばどうなるのか?やはり、どちらかのうち、より愚かなほうが、負けることになる。初動で、陽動作戦を仕掛けられたのに気が付かなければ、戦況の判断、大局観に問題ありと言わざるをえないだろう。今日的には、書物、情報は、ほぼ似ているとも云えるが、賢者は、どんなくず情報からでも、金を集めて、成果を上げて行くに違いない。愚者ほど、怯えた犬のように、吠え続いていくのではなかろうか。写真は、フランクフルトのゲーテハウス内。

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