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【日記】5月9日 このご時世で感じたこと

一人に慣れてきてしまいました。

とは言っても、instagramのストーリーはたくさん更新したり、最近あまり手を付けていなかったTwitterもちょくちょくツイートをしてみたり。何だかんだで外の世界を欲しています。

コロナのおかげで自粛生活が続いて、Wi-Fi環境がポケットWi-Fiしかない私は不自由だなぁと感じていたり、話題のオンライン飲み会なんてものは無縁でつくづく自分が一人であることを痛感しています。

それでも、自分が一人暮らしをしていることで自分を保っていたり、自由を感じて、いろんなことを考えて、いろんなことに興味を持てるようになったいい時間を過ごせている気がします。

なにぶん「暇」がキライと「思い込んでいた」自分がいたことに気づいたことはとても大きいかもしれません。「暇=やることがない」と思っていたのですが、今思うと、何にも興味がない自分やら何もできない自分の言い訳でしかないんですよね。

暇を作ってしまったら、「○○○をしなくてはいけない」という考えになっていて、基本的にその○○○に入るものは、自分の苦手なことであったり、劣等感を感じること、もしくは憧れていることだったりしたと思います。

これに今、このご時世、このタイミングで気づくことができたのはすごく自分にとってラッキーで、よいことだなぁと感じています。

いつも「忙しい」を言い訳にして何もしてこなかった自分ですが。
「負ける」ことが怖くて、勝ちたいと思うほどのものを作ってこなかった自分ですが。

このことを言える、発信できるようになったのは、この新型コロナウイルスによる自粛という時間の中で、仕事は減り、フットサルに行けない、サッカーが見れないという状況になり、思索にふける時間ができたからだと思います。悪くない時間、うん、わるくない。

話は変わりますが、Instagramで、質問BOXてきなのがちょっと流行ってました。こういうの、やってみちゃうタイプで、やったんです。ふと、考えさせられた質問を挙げます。

本当の友達ってなんですか?

まずこれです、難しい。友達の定義なんて人それぞれです。実際、私自身幼少期から、仲いい子が陰で私の悪口を言っているなんていう場面に遭遇したこともあります。そんなことがあると子供の考えはひねくれます。

そもそも、です。友達っていう言葉で人とのつながりを決めつけるのはよくないと思ってます。彼氏や彼女、夫婦などは、大抵が一人に対して一人の1対1、1on1だと思います。

でも、友達っていうのは、1人だけ同氏が難しいものだと思うのです。だからですね、私が思うに、友達っていう括りにするとめちゃくそ面倒!!

友達は大事です、それはもちろん。ただ、その括りから相手を個人として考えたら良いという考えをここに落とします。

例えば、「自分と佐藤」っていう関係、「自分と高橋」っていう関係。これ絶対違くないですか?個々で関係性は絶対違うと思うので(絶対はないか)、この考えになるとだいぶスッキリするのではないかなと感じます。

ということで、私の考えは「友達」っていう考えで括らずに、自分が相手に対して思う感情で、判断。そしたら、誰に何を言ったとか言ってないとかの人間関係特有の煩わしさは消えるよね。

なので答えは、本当の友達なんて括りありません!いらん!!

世渡りうまそう(質問じゃない)

これってどう受け取ればいいの?ってなりました。

人間、人付き合いで大事なのは、ギャップだと思っているので、普段バカしている人が真面目な部分見せるだけでプラス要素になりますよね🙂って話です。

これに関しては、上手い下手は自己判断できないので、他人の眼に写った自分がすべてなんだなあと。世渡り上手くなるには、見られてるって思うことも大事なのかなと(意識もできるし)思いました。新たな気づきや!

ほかにもいろいろあったのですが、眠いのでやめます。暇つぶしの日記として書いていけたらいいなと。そして書いて、新しい自分の気付きに出会いたいです。

成長の過程として。