ギブアンドテイクと目標ギャップ

はじめに

昨日の配信でヘブンバーンズレッドをプレイしながら語った話の論点を改めて伝えたかった事をまとめました。話の都合上、梢のハロウィンイベントのネタバレがもろにありますので、読んでいない方はお気をつけ下さい。

僕が言い出した話

梢と○○○(伏せます)みたいな関係っていいよね、現実世界ではこういう人はほとんどいなくて例え漫画でも本でもアニメでもそういうのを知っているっていいよね。現実の何かでも影響受けてる人いません?

がきっかけで色々話したわけなのですが

「基本的に人間は等価交換で行動をする。ただし人によって価値観は様々なので梢と○○○の間では等価交換は成立していても、外野から見ていると本来は成立するわけないものが成立している」

人はその釣り合っていない落差の低い方を美徳として受け取る確率が高く、それに心を動かされて感動する。今回の話で言えば、ひどい事を言われた○○○が梢を助けるのは理解しがたく、過去の出来事関係なく梢を許容した○○○に心を動かされる。

何故か?

基本的に例外なくgiveがなければtakeは起こり得ない。先程の等価交換の話と同じだが、giveとtakeは互いに価値観の差はあれど「Aさんが思うgiveに対してBさんが返すtake」の価値の量はそれぞれで同じでなければならない。

  • AさんはBさんに優しくした

    • Bさんは100点満点で70点の感謝をAに対して感じた

  • Bさんはその記憶があるのでAさんに何かあった時に助けた

    • Aさんは100点満点で70点の感謝をBに対して感じた

この時は何も問題が起こらないが、この数値や感覚が相互にズレればズレるほど亀裂を生んで、友人であれば不仲に、恋人であれば別れにつながる確率が高くなる。

私はこんなにあなたに愛を注いでいるのに返してくれないのは何故?

勿論例外はある。客観的に物事を考えられる人が片方にでもいる場合は「私は70の愛を向けていて、50しか返ってこないけど、あの人の中では70なんだろうな」と片方が諦める事で成立する。相当難しいが…。

これは自分自信に対しても同じ

Aさんは努力した。100の努力をした。でも結果として期待値の100返ってこなかった。この繰り返しは精神を相当すり減らす。1回1回は気づかないが、それは少しづつ精神を蝕んで気づいたら大変な事になっている。これは家の環境を問わない。家の環境良ければ良いほどAさんにとっての100は客観的に第三者が見ると高い目標になるし、家の環境が悪ければ悪いほど100の期待値は低い目標になる。

100の努力が「政治家になる事」という人もいるし、100の努力が「明日美味しいごはんを食べる事」という人もいる。それは先程の通り、価値観や生まれの差なので覆しようがないが、それでも自分なりの100の努力は常にある。そしてそれに対して自分なりの100の結果を求める。

この時良くないのが100返って来なかった時に「自分の100は足りなかったんだ」と思う事にある。改善は必要なので100の質を問う事は問題ないが、振り返って100の事を自分なりにやったと言い切れるのであれば、それは100の努力を認めてあげないといけない。なので「100の結果を求めるためのやり方が間違っていたのか」「そもそも期待値にギャップがあるのか」を考える必要がある。「100の努力が足りなかった」ではない。

これは天堂の経験の話になってしまうが、10年後の未来の自分は順調に生きれば努力せず普通に達成出来る姿を思い描く人が多い(極めて少数しか辿り着けない特殊な修羅の道を行く人を除く)。しかし「1ヶ月後こうなっていればいいな」は高い目標を掲げがちになる。即ち「割と頑張らないと達成出来ない」目標がある事が多い。でも人間が生きる時間はもっと長い。一ヶ月或いは一年そこらの成果で絶望してはいけない。
人生は長い。自分の努力を否定せず、努力した自負はそのままに、やり方を工夫したり、目標を少しだけ下げたりと自分の努力を認めながら、進み方を変えていく事がとても大事だ。あまりにも最大限努力したが実らなかったズレを短期間で考え過ぎると精神的におかしくなる。自分が駄目だと傷つけたり、何かをする事が怖くなる。

だから自分が努力した事を認める事はとても大事だ。100やりきったと思えるのであれば、やり方は間違っていたかもしれないがその100は称賛に値するもので誇っていいものだ。

ギャルゲーはこんな事を考えさせてくれる

たかがギャルゲー、されどギャルゲー。物語の世界にはこうやって、「意味不明な聖人君子のような等価交換をしてくれる人」が登場する。ましてそれが肉親等ではなく友達に対してであれば特別だ。

僕もそんな意味不明な等価交換をしてくれる友達が出てくるような人間になりたい。でもそれにはまず、giveが必要なので僕もそれに匹敵する何かをしないといけない。

takeを求めるのは悪くない。それに匹敵するgiveをしてい自信はあるか?優しくされたいなら、優しくならないといけないし、愛されたいなら愛さないといけない。今与えられていないなら、自分から与えにいかないと、手に入る事は絶対にない。僕は全然出来ていないけれど、こういう事を考えさせてくれるギャルゲーは最高だ。君もやろう、ヘブバン。




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