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ミニスカートを辞めた日の話。


私はミニスカートが大好きだ。
できれば毎日履きたい。

どれほど好きかというと、今は日本から撤退してしまった【アメリカンアパレル】のフレアミニスカートを色違いで全て買うくらい好きだ。
わかりにくい。


保育園の時から好きで、母親も私をフリフリガールに育てたかったようでたくさんスカートを用意してくれた。

生地から一緒に選んで作ってくれたりもしていた。

動くと揺れて、少し長さが違うだけで全然違って見えて、靴下何履こうかな、長いのにしようかな、短いのにしようかな、
無限の可能性がある。


男兄弟の中で育った私は、たまに男の子っぽいこともしてみたくなりパンツを履くこともあったが、それでもやっぱりミニスカートが可愛いな、好きだなと思っていた。


テニスクラブに入ったのもミニスカートが履きたかったから。

そこにミニスカートがあれば、私は躊躇なく選ぶ人生を送ってきた。



そして大人になった。
古着が好きになった私は、どんどんその世界にのめり込んでいった。

その時は都心の賑やかな場所に住んでいたので、私みたいな子がたくさんいた。

みんな髪の色も自由で、好きなものを着て、好きなメイクをして、イキイキしていた。
好きな服を着ることは自己表現の大切なひとつ。

同じ気持ちの人たちに囲まれて、その世界が当たり前になった。


そして、その地を引っ越す時が来た。
私は当たり前に好きな服を着続けた。
ミニスカートも、古着もマーチンのゴツいブーツもサングラスも。

人の視線が気になる様になった。
今までとは違う、『陰湿』ささえ感じる視線だ。


そして、ある日つきまといを受けた。



それから一度や二度ではなく、何度も受けた。

できるだけ無視しようとするが、あまりにしつこい時はスマホに110番の準備をしてから
なんですか?と声をかける。


すぐ逃げる。


その繰り返し。
逃げるならするな、と思う。


人に話すと、私は悪くないにしろ、この町でその格好してるとある程度は起こりうる事、となる。

なるべく街に溶け込むような、地味な服にしろ、となる。


冒頭にも書いたが、私にとって何を着るかは自己表現の一つで、そこを譲るなんてできない。

これは私の大切なアイデンティティ。


ましてやそんな理由で、自分の気持ちを削るなんてあってはならない。

そんな世界でいいはずがない。


私は相変わらずに自分の好きな服を着た。
つきまとったり、ジロジロ見る人は減らなかった。
誰も助けてはくれない。


自分の服に対する素直な気持ちがどんどん削られた。


それでももう半分以上は世の中に対する反抗もあったと思う。

好きな服を着る私でいさせて。
認めてくれなくても、そっとしておいてください。


そして、何例目かのつきまといを受けた時、私は決定的な身の危険を感じた。
思い出すと辛いので、詳しくは書かない。


そしてそのストレスは、ボロボロになっても守り続けていた私のアイデンティティをついに上回った。


「もうこのスカート履けないや、、、」


悔しさがこみあげて涙が出た。
私は「自分が悪かった」、そう言わされた気がした。誰かから。


それからネットでよくある形のパンツを3本買った。
何も考えず、そればかり履いた。


良く言えば、パンツの魅力もわかるようになったし、それなりに楽しい。
悔しいけどストレスが本当に減った。


それから何年もミニスカートは履いてない。


しかし先月、気の知れた友人と遊ぶ日。

なんとなくミニスカートが履きたくなった。

家から目的地まではジャージを履いて、目的地で履き替え、帰りはまたジャージを履いた。
怖い思いはしなかった。

久しぶりにミニスカートを履いて、やっぱり大好きだと思った。


今日はずっと書きたかったテーマで、且つDJ SODAさんの事件があったので形にしました。


世間が変わるのが先か、はたまた私が少し太った分痩せる方が先か。
(ミニスカートを履いて写真撮ったら自分の太さに衝撃を受けました。)

乞うご期待!!!

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