三島までの道・三島での道
「皆のアドベントカレンダー2021」8日を担当するスミス理生です!
簡単な自己紹介
19歳の浪人生です。(進学予定の大学はアメリカなので、私の場合、正確にはgap year student です。主な違いは日本の浪人生は共通テストそして各大学入試に向け、懸命に勉強しますが、gap year は普段の学生生活、また通学しながらでは社会でできないことに挑戦してみる機会として考えられています。)
私は、アメリカ人と日本人のハーフで、ロサンゼルス、ボストン近辺、千葉、東京と、これまで色んな所に住んで来ました。
小6の夏まではアメリカ国内で何度か引っ越し、小6から高2の夏までは日本、高2からはまたアメリカと、移動の多い19年を過ごして来ました。現在は三島にあるLtG Startup Studioでインターンをさせてもらっています。
趣味は主に映画鑑賞(アニメも)、サッカー・フットサル、バスケ、読書、ペン画です。スペイン語を勉強し、最近はウクレレも始めましたが、どちらともなかなか上手くなりません。
来年の6月?ぐらいまでは三島にいる予定です。母国語は英語なので日本語が少しヘンでもご了承ください。
2021年1月
私はロサンゼルスのサウスパサデナ市にいました。
サウスパサデナ高校で最後の年を送っていました。この言い方だと長い間通ってたように聞こえてしまいますが、高2の夏に日本の高校から転校し、その後すぐコロナになり、結局、数ヶ月しか通学しませんでした。(その年は上級生との授業が多かったため、)結局、パンデミック前の数ヶ月の間に仲良くなった同級生は誰もいませんでした。
年末年始を家族と過ごすためにアメリカに一時帰国していたお父さんは仕事のため日本に帰国。母、妹、犬のモッツアレラ、私という3人1匹のパンデミック生活が再開しました。受験もひと段落し、時間的な余裕もでき、孤独を感じ始めました。そんな孤独感を埋めるためと言うと大袈裟ですが、空いた時間を利用して、何年間も遠のいていた趣味、絵をまた描き始めました。
対面では母・妹、ビデオ電話では父と話す以外、人と直接会って会話する機会がほとんどなかったので、その間、狭い世界で暮らしていた私にとっては、ボールペンとペン画が与えてくれた自由はかなり広く感じました。
犬のモッツァレラちゃん
https://instagram.com/r.y.s.art?utm_medium=copy_link
(最近は忙しくて描けてないですが、来年の2月で受験が終わるのでまた始めます)
2021年3月・4月
日本の友たちはみんな受験も終わり卒業、楽しそうだった。Instaに投稿された卒業式の写真、卒業祝いの集まりや打ち上げの写真を見るたびに、受験を終え新しい一歩を踏み出す友だちのことを尊敬すると同時に、私はみんなとのお別れの場に参加できず、寂しかった。遠く離れた場所からlineメッセージを送ることぐらいしかできなかった。
この頃、サウスパサデナ高でハイブリッド授業(選択半分オンライン・半分対面)がました。サウスパサデナの人たちとも仲良くなりたい。Zoomでしか関わってことない同級生と対面で関わりたい。そう思っていた私はこのチャンスを逃したくなく、ハイブリッド授業を受ける決心をしました。 しかし、自分の期待は思いっきり外れてしまいました。ハイブリッド授業初日、教室に入り席に座った。教室にいたのは、私と担当の先生二人っきり、クラスメイトは誰ひとりいなかった。次の授業も私以外の生徒はたったの1名。結局、他の生徒はみんなそのままオンライン授業を希望していたので、通学してもクラスメイトと関わる機会はなかった。
2021年6月
気づけばもうアメリカでも卒業の時期を迎えていた。卒業生向けのイベントでみんな盛り上がって楽しそうにしていた。私はボッチで家だった。卒業アルバムをもらう通学日も、他の同級生はみんなお互いのアルバムをサインしていた。その場で参加できなかった私は辛いよりも、ただ無情になった。家に帰った。
ついに卒業式前日。その日のイベントは、Senior Sunset(学生として見るラストの夕日)だった。私は一人で過ごすつもりでいたが、イベント開始から約2時間後、話したことない同級生から連絡が来た。会ったこともない人のに誘ってもらいました。そのグループの同級生は誰も知らず、夕日ももうとっくに暮れていた。それにも関わらず、私はルンルンと早足で学校へ向かった。
Senior Sunsetと翌日の卒業式、たった2日間だったが、私はいろんな同級生と仲良くなれた。みんなは15年近くの付き合いだったため、お別れの涙を流していた。そんな中、私は、少し不思議な人だった。卒業式後の2週間、卒業式の2日間で仲良くなった友だち、みんながまだロサンゼルスにいるうちに私は思い切って楽しんだ。
他の同級生が大学進学する一方、私は浪人(gap year)することを決め、再挑戦をすることにした。
逆単身赴任の父、去年のインターンの上司、日本の高校の先生方、日本の家族、色んな人に会うため(受験関連の書類をもらうためもあったけれど)、夏には東京に戻ることになりました。
日本に帰国後、高校の友だちに会った時、サプライズで日本の高校卒業アルバムをもらいました。中学1年から4年半通学した母校だけれど、卒業まで在学していなかったのでため私は映ってはいなかったが、高校の友だち、そしてほぼ関わったことがなかった同級生までも、みんなが私のアルバムにサインしてくれていた。アルバム費も学年担任の先生が何も言わずに払ってくれていた。アメリカ引っ越し後、私が感じていた孤独さを伝えてもないのに、アルバムそしてサインまでしてくれた友だちには、嬉しくて言葉にできないほど感謝の思いでいっぱいだった。
2021年8月
アメリカに帰国し、本格的にgap year をどう過ごそうかと考え始めた。父からワダさんの話を聞き、ワダさんが関わっている東京のスタートアップスタジオに興味を持った私は、インターンを希望しました。父がワダさんに連絡すると、早速ワダさんは私を歓迎してくれました。8月15日、私は初めて三島のことを知りました。東京ではなく、三島にある町づくりを進めているLtG Startup Studioを知りました。ワダさんは会ったこともない私にインターン受け入れ先として、東京あるいは三島という選択肢を快く与えてくれました。
翌週ワダさんとLtGのカワダさんとzoomをしました。私は自分が十分貢献できるか心配zoomに参加しましたが、ワダさんもカワダさんもずっとどうすれば私がLtGで楽しく学べるのかと、私のことを考えて話をしてくれた。面識のない私ことでもとても親身になって考えてくれるお二人の心の大きさに感化され、私は三島に行くことを決心しました。
三島行きが決定すると、すぐに活動を始めたかった私は、ダッシュで住む所を探し始めた。幸いワダさんが紹介してくれたシェアハウスのinstaに投稿されてる楽しそうな雰囲気に魅了され、私は、シェアハウスジューニブンに連絡をしてみました。たった1度のzoomで外国からやって来る見知らぬ高校生を快く受け入れてくれました。私の三島での移住先が決まりました。
赤の他人だった私を温かく受け入れてくれたワダさん、カワダさん、ジューニブンのみなさんにより、私の三島への移住が決まりました。LAXからHND、その二週間後の切符を買いました。
2021年10月
日本帰国後の2週間隔離を終え、
ひとりも知り合いがいず、車で通過する以外は一度も静岡県内にも入ったことなかった私は、三島にやって来ました。
ジューニブンに着き、オーナーであるミヤサコ夫婦、そして相部屋で共に生活することになったリョウくんに初めて会いました。その後ワダさんが三島ツアーををしてくれる予定だったため、シェアハウスには30分ほどしかいられなかったのですが、ジューニブンで挨拶でき、少し心配だった自分が少し安心しました。三島でのファーストナイトは住人みんなが集まってくれ、木製のテーブルを6人で囲み、みんなで笑いながら、みんなが作った美味しいご飯を食べました。私とダイキさんが盛り上がってNFTの話を初めてしまい、気づけば住人が一人一人消えていました。就寝の時間になり、リョウくんは先輩でありるにも関わらず、年齢に構わず、私に友だちのように話しかけてくれました。初日から三島ファミリーを見つけたような気分になりました。
こんな形で私の三島生活は始まりました。翌日、ワダさんの撮影の手伝う所からスタートし、私は三島の人々と徐々に関わり始めました。そこで同じく映画のセットを手伝っているマサタカくんと出会いました。緊張している私に打ち解けるまで話しかけてくれ、シェアハウス以外で私にとって初の三島フレンドができました。エキストラとして出るのを私がセットの外で待っていたると、他のエキストラの方々が一緒に中で待機するように誘ってくれました。この日をきっかけに私は色んな人と関わるようになりました。
LtGでの活動も始まりました。私の三島生活を始めた約1週間後からワダさんは出張でアメリカに行くことになっていました。、私が心細く思っていたのを察したのか、出張前の忙しい中、ワダさんは色んな人に私を紹介してくれました。おかげで私は短期で三島のコミュニティーに受け入れてもらっている気がし始めていました。ワダさんの出張中もLtGのみなさんが私を温かく歓迎してくれました。
そのうち、リョウくんからミラケンの話を聞き、訪ねてみることにしました。正直、ミラケン初日のその日、誰に会ったのかは覚えていません。ただ、めちゃくちゃ楽しかったのははっきり覚えています。その日からよくLtGでのインターン帰りにミラケンに寄るようになりました。初対面の他人でも、ミラケンでは話せる距離間というものが存在する。
2021年12月
三島での生活も早2ヶ月が過ぎました。色んな思い出もあり、もうすっかり三島に馴染んでしまい、三島にいたこの期間をすごい長くも感じますし、一瞬にも感じます。三島のみなさんには、言葉に表現できないほどお世話になっているのですが、書けるところは書いてみます。
私が三島で関わっている人の中で私が最年少だと知っているからこそ、バイト先の私の同級生に当たる友だちを紹介してくれたリョウくん
美味しい店舗を紹介してくれておもしろい話をしながら一緒に回ってくれたマサタカくん
LtGで私の居場所があるように何度も様子を確認し、私をLtGコミュニティーの一員にしてくれたアユミさん
ミシマビトの話をしてくれ、私がミシマビト参加するきっかけを作ってくれたモモちゃん
カフェトーク新人の私が楽しんでいるか気遣ってくれたレビンさん
一次会カフェ巡りができなかった私のために、私の予定にみんな行動を合わせてくれた喫茶女子メンバー
ウクレレを貸して弾き方のアドバイスをくれたピーちゃん
シェアハウスで毎日二次会が楽しめるようにお菓子を買ってくれたトッシーさん
山からは鹿、猪、ハクビシン、海からは色んな魚、シェアハウスのみんなで盛り上がって食べれるように調理してくれたナユさん、ダイキさん
僕の誕生日に合わせてキャンプをしてくれたジューニブンの住人
話が面白い、また一緒に昼に行きたいと言ってくれて誘ってくれたハギワラ夫婦
朝散歩に誘ってくれたユウコさん
それ以外にも、一緒に外食すると何時間に渡ってでも話をしてくれたセイさん、市のミラケンメンバー、ミシマビトの皆さん
そして、last but not least私に三島に来るチャンスをくださったのワダさんとカワダさん
三島に来るまで私はパサデナに引っ越した時のように、少なくても初めの頃、ある程度孤独な生活を送る覚悟をしていました。しかし実際は、今考えてみれば家族からも離れ遠いところにいる私にとって、みんなが与えてくれた三島のコミュニティーがなければ、三島生活は確実に苦しいものになっていたと思います。
三島に来て色んな方と出会い、政治、株、サッカー、アート、文化、国際社会、競馬、悔い、野望、今後の希望など、幅広い話題を年齢も職業も異なる多くの人と話をする機会に恵まれました。
今回私は8日を担当しています。10日から家族に会うためにロスに帰ります。2ヶ月ほど三島を離れることになりそうです。三島にいた期間分、またいなくなると考えれば、かなり悲しいです。今回の12月の会議でミシマビトのみなさんがお別れプレゼントとかっこいい英語のメッセージを用意してくれました。ジューニブンの皆さんも私が帰る前日に忘年会を合わせてくれました。三島の方から心をこめた「リオくんいなくなったら寂しいよ〜」を聞き、私もこれから久しぶりに家族に会いに行くに関わらず、とても寂しいです。三島にいる期間がこんなに短く感じるほど、私が三島に夢中になるとは思ってもいませんでした。
一年前、いや半年前の自分が三島の存在も知らなかったと考えると、すごく不思議に思います。現在の自分は去年と比べてもかなり異なる環境にいて、去年の自分が想像もつかなかったような自分にもなっています。可能であれば三島の思い出を一つ一つ書いていきたいのですが、既にかなりの長文になってしまいました。長々と書き綴ってしまい、すみません。
おそらく三島に戻って来るのは、来年2月初め頃になると思いますが、私がまた三島に戻った帰国後、三島のみなさん、どうぞ私に話しかけてください!
三島のみなさんにとって、良い年末年始になりますように。
Stay Safe and Happy Holidays!
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