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ひっそりと大学生活を送りたかった1年前の自分へ(大学1年目を振り返りながら)


久しぶりに高校の友人とのLINEを見返していたら,高校卒業後の会話の中に一際強調されていた言葉がありました.
それは,「大学では目立たずにひっそり生きていたい」という言葉.

この言葉は大学受験のときに周りの受験生を見て思ったことでした.
「この大学で目立つようなことをしたら確実にいじめられる.小学校・中学校のときみたいに周りに合わせなきゃ.」
(※大学のネガキャンをしたいわけではありません.大学そのものや私に関わりがある大学の先生には恵まれていると思います.)

私が大学が受験できると確定したのが高3の10月ということもあってオープンキャンパスにも行っていないし,教員免許さえ取れれば将来お金に困ることはないだろうという安直な気持ちで受験先を決めていました.
もちろん,私立大学なんて行くお金などないので受験は国立一本.選べるのは余裕で受かるところのみ.
しかも,共通テストが終わるころには大学に行きたいという気持ちが弱まってしまい,「後期は無駄にお金かかるだけだから受けなくていいよね~」と親にぼやいたりもしていました.(まぁ怒られて後期も出願したのですが...…)
極めつけに受験前日・当日にすれ違った在学生と受験生を見て,これから4年間大丈夫かな...…と落ち込むやら不安になるやら.

そんなこんなで幸か不幸か合格してしまい,第一希望の大学ではあったもののそこまで気乗りしない大学生活が始まってしまいました.


春学期

大学入学して直後はそれなりに”普通に””特徴がない”人を演じていました.演じているつもりでした.

そしたら,「やっていることと言っていること(目立ちたくないという発言)が合っていない!」と叩かれました(笑)
今は笑い話として消化できていますが,言われた当時は本当に恐怖でしかありませんでした.
何も知らんお前さんが何言っとるんじゃ!と心の中では怒りの気持ちでいっぱいになりつつ,さも当たり前のように人の行動をジャッジしようとする人が同じ環境にいる,長ければ4年も一緒にいなくてはならないかもしれないという事実を認めたくありませんでした.

この他にも裏で悪口を言われる機会が多々あり,このときにようやく「大学選びミスったな.他の人には合っていても,私には合っていないや」ということに気が付きました.

それでも,わざわざ茨城から東京に送り出してもらったということもあり,どれだけ辛くてもしんどくても春学期は何とか乗り越えました.(少なくともそのように見せていました.)
実家にも帰らなかった.帰ったらきっと東京に戻ってきたくなくなるから.だから,ゴールデンウィークも夏休みも帰らなかった.

私の春学期の楽しみと言えば,授業終わりに大学の先生と話すことと大学の外でやっているお仕事ぐらい.
その2つの楽しみがなかったらこの時点で大学はやめていただろうし,大学の人とも頑張って話そうとはしなかったと思う.
もともと持っている人間不信がさらに強まった春学期でした.
(その一方で大学の先生は面白いから話せるようになった.)


夏休み

一転して夏休みは本当に楽しかった.
自分が直感的にいいな!と思ったイベントに参加して,面白い人とたくさん会って,久しぶりに「自分はこんな人間なんだ!」と発信して,やりたいことに夢中になって...…
そうして,何度も「君は周りの人とは違うんだ」という言葉を刺されて,私は世の中が勝手に示した”普通の人”にはなれないんだということを嫌でも思い知らされました.
これまたようやく「ひっそり生きよう大作戦-木を隠すなら森の中!-」が実行できないことを知りました.
だって隠れられないんだもん.


秋学期

夏休みの反動でちょっと(結構)精神的にしんどくなってしまいました.
私の記憶力が悪すぎて春学期にどんな感じに演じていたか忘れてさらに人と話せなくなってしまった()

秋学期に苦しんだ言葉が「普通」
たったこの2文字で何か月も精神的にやられていました.

「”普通”の大学生じゃないね」
「これが”普通”の考え方だから」
「もうそろそろ”普通”に生きたら?」
「もう少し”普通”に人と関わることはできないの?」
「お願いだからもうそろそろ”普通”に幸せになってよ」

ただでさえ,秋学期も悪口吹っ掛けられて気持ちがダウンしているというのに,さらに「自分らしさ」を全否定される言葉を重ねに重ねられたらそりゃあしんどくもなるもんです.

結局,11月には耐えられなくなって見た目がぐちゃぐちゃに荒れ,12月には学生相談室に駆け込みました.
記憶が無くなる前に(嫌なことをすぐに忘れてしまう)急いで過去についてwordに書き起こしたものを持ってカウンセリングへ.
このときに書いていたものが残っていたので下にぺたり.

この文章の前に高校3年生のときのトラブルについてもまとめられていたのですが,ここでは省略.
このときの感情としては「高校のときは楽しかった.日本語がちゃんと通じている感覚が私は持てたし,周りの人も尊敬できる人ばかりだった.でも,大学は全くそうではない」という高校との比較が強く出てしまっていた.

なんだか自殺する前に自分が消える懐かしい感覚を久しぶりに感じ取りました.
自分という存在が消えれば「普通の人」になれるのになって思いました.

学生相談室では,たまたま運よく自分と相性の良いカウンセラーさんと会うことができて,過去の話から一つ一つ自分の言葉に変換して口に出すということを何度も何度も繰り返しました.
自分が同年代の人と話すことが苦手な理由,本当の自分はどのような存在であるのか,何について課題と感じ何を歪だと思っているのか.
片っ端からどうでもいいことも,思いついたこともすべて自分の粗削りの言葉を使って話続けました.
簡易的な検査もして,中度の鬱の段階にはあるみたい(あくまで簡易的な調査)ということも教えてもらいました.
とりあえずは,たまには大学を休みながらも,カウンセリングに毎週,年末まで通い続けました.

そして年末には半強制的に帰省.
まともに食事もとれなくなってきたのでついに戻りました.

帰省初日に夜になって両親に
「あの大学にいるの嫌すぎる.あんな大学辞めてやる!」
と叫んだ直後に母親から言われた言葉が今でも忘れられません.

「なんであんたがそんなに思いつめるんだよ!
もっと思い悩んだ方がいいのは人の努力を簡単に馬鹿にできるような大学の人たちでしょ?違うの?
なんでお前に悪口言っているような人がへらへらとしてて,あんたがくよくよしてんだよ.
そんな人ばっかり周りにいるんだったら,別に大学の人と無理に仲良くなんてしなくていい.
1人だって大学には十分に通えるでしょ.
小学校だって中学校だって,つまらなかっただろうけど,先生とは話せたし,友達がいなくてもやっていけたでしょ.
そもそも私たちは一度も莉央に友達を作ることを求めたこともないし,普通の人として生きてほしいなんて願っていない.
大学の人と話せないなら,先生と話せばいいし,何なら大学の外で気が合う人と話せばいいじゃない.絶対そっちの方が学びが多いし,莉央にとっても楽しいでしょ.
それに見る人が見ればあんたのこと認めてくれるでしょ.
にしても,莉央を退学させるなんて大学もかなり損だと思うけどなぁ~
とりあえず,大学はあきらめろ.高校が良すぎたんだ.」

その後に父親の「そうだぞ~面白いことやんなきゃ損だぞ~俺だってなぁ~」と何を肯定しているのかよくわからない遠くから聞こえる昔話を聞き流しながら,なんだか今までの気持ち悪い感情が全部馬鹿らしく思えたんです.
ここまでスパッと言い切れる人って大学に入ってからだと本当にいなかったから,とっても気持ちが軽くなったんです.
たったこれだけで,精神的にやられていたのが治りました.
とてもちょろくてよかったです.おかげで治療費かからなかった()

そこから,年が明けて気持ちを切り替えよ~ってことでとりあえず大学関連の連絡先を消しました.いらないんで.(学科のグループLINEから消えたのもこのため.)
さらに大学で頑張って仲良くしていた人から離れるようにしました.話しかけられたら話す.たったそれだけ.
東京に戻る直前に弟から「人間は見た目!見た目さえ良くしておけば周りの反応も良くなる!」とアドバイスをもらい,見た目が弱っているのも悪口を言われる原因だと思ったので,しっかりメイクをして,明るいアクセサリーをつけるようにしました.
ビジュがいい弟が言うと説得力が違う...…(笑)

そして,”普通に生きること””ひっそりと生きること”を諦めました.
そんなん自分がやる必要はない.

年明けにはいろんな人に連絡を取ってひたすら相談に乗ってもらって,自分がやりたいことを実現できるように準備を始めました.

ようやく気持ちが安定して楽しく生活できるようになった1月末.
祖父が亡くなりました.
表面上は大丈夫なようにふるまってはいましたが,大丈夫なわけなかろう.
それでも,葬儀の日に親戚の方から「じいちゃんは莉央ちゃんが活躍をしている姿を見るのだけが楽しみだったんだよ」という話を聞き,今までの頑張りが報われたというか,変なことばっかりだけどまじめに頑張ってよかったって思えました.
会う人みんなが「あいつ(祖父)は本当に仕事人間だった.退職してからの楽しみは孫を見ることぐらいだったんじゃないか」というぐらいだったので,よっぽどだったのでしょう.(この祖父にこの孫ありですね.)
祖父が亡くなってからちょっとは落ち込みましたが,その後に大きめの出来事・お仕事が大量に舞い込んできて落ち込んでいる暇がなくなりました.
これも,仕事人間な祖父なりの粋な計らいだと思うことにします.

今は,自分がやりたいと思ったこと,心惹かれたものを大切にできるようになりました.
まだ継続してカウンセリングにも通い続けているのできっと大丈夫でしょう.
将来の進路についても面白そうな道が見えてきました.
そのために個人で勉強も頑張ろうと思えるようになりました.

LINE相手の彼には提案されたけど髪は緑にもピンクにも染めなかったし,「大学では目立たずにひっそり生きていたい」という目標は達成できなかったけど,それでも”菅谷さんらしさ”は今でも健在ですよ.
ご安心を…


ひっそりと大学生活を送りたかった1年前の自分へ

結論,お前がひっそりと生きていけるわけがないんです.
ひっそり隠れて生きて何が楽しいんや.
そりゃあ目立てば嫉妬・嫌がらせなんて日常茶飯事だ.
今更怯えたところで今までを振り返ったら大したことないだろう.

あとね,君が思っている「普通」は世間一般の”普通”とは違うんだってさ.
びっくりだよね.私だってびっくりだよ.
大学入学してしばらくは「普通であれ」って言われます.無視しましょう.
相手が私のことを手の中で保管するための常套句です.自分の普通を貫きましょう.腹が立ったら自分の普通を押し付けて白水走ってもらいましょうね.
私のことを本当の意味で大切にできない人を自分の近くに置く必要なんて一切ないんです.気にすんな.

さらに隠れるために無理に周りの環境に合わせようとしなくていいです.
そんなことをしたらどんどん落ちこぼれます.
背伸びできるような環境なら周りに合わせたほうがいいと思いますが.
さらに,無理に周りの環境を変えようとしなくてもいいです.
変わるきっかけを与えれば変わる人もいますが,大学生にもなると変わらない・変われない・変わろうとしない人も少なくありません.
自分が好きなようにやって,それに付いて来ようとする人に手を伸ばしてください.

最後に,自分が一番期待できるような自分でいるのが一番大事だと思う!
キラキラしている自分,かっこいい自分,堂々としている自分,自信を持っている自分,最終的に何とかしてくれる自分.
だから,うちはうち!よそはよそでいいの!
わがままとか自分勝手とか言われるけど,自分が一番大切なんで!と笑顔でスルーしようね.


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最後に

不特定多数の人が見られる状態の記事として投稿しようか迷いましたが,同じ苦しみをしてほしくないという思いを込めて投稿することにしました.
大学について軸に話したため,大学についてネガティブなイメージを抱かれる方もいらっしゃるかと思います.
あくまで菅谷個人としてこのような景色が見えているというだけで,すべてがこんなに真っ暗ではないと思います.
すべての物事に通じますが,自分の目で見てご自身で判断してください.
もともと私自身が人が好きではないというか,騙されたことの方が多いのでそういった意味での認識の偏りはあるかもしれません.
誰かにとって背中を支えるような記事になっていれば幸いです.
ご覧いただきありがとうございました.


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