見出し画像

もっと正直にいこう



3年前くらいから、僕の人生は 
一気に変わった。  


その今の結果として 
石垣島に住んでいる。 

空からみるとより一層美しい



でも、これも過程でしかなくて。 

きっとまだまだ可能性しかない。 


僕は今37歳 

一般的にはいわゆるアラフォー(笑)

もうおじさんと呼ばれる
歳なのかもしれない。 

おじさん、おばさんになると 
なぜだか色んな可能性の幅が 
せまくなって。  


誰かのためとか 
会社のためとか
何かのためにが多くなって  

気づいたら身動きが 
取れなくなっていて 

その枠の中で 

必死に生きるんだ。 


枠は守ってくれるものでもあると思うし

そこで真剣に生きる人は素敵だ。

・・・ 

ただぼくは枠の外で  

枠を取っ払って 

その外で生きてみたい。 

ただそれが僕の願いなんだ。

竹富島のある場所から

もう何歳だからなんて言わない


歳を取ると、確かに身体は衰える。 

どんなにトレーニングをしても 
20代と40代では身体は変わってくる。 



それでも、ぼくたちは夢をみれる 

子どもの時のように、 
突拍子のないことも描けるし  
ただ純粋に走ったっていい。  

40代、50代になれば 
昔のようには軽やかに走れないかもしれない。 


でもその分、経験やスキルや 
培ってきたもの、蓄えてきたもので 
補ったっていいんだ。

何が行動を抑制するのか

そもそもなんでぼくたちは  
徐々に行動が制限されるのだろうか? 

ぼくは3つの理由かなと思う。

  1. 年齢
    年齢は上記した通り分かりやすい。
    年齢を重ねることに体力的な衰えや
    不調などがあると、行動は
    制限がかかりやすい。 
    身体はやっぱり資本。

  2. 血縁、地域(国)の意識、そして過去生
    〈こうあるべき〉というルールみたいなもの。 それが、具体的にわかりやすい
    目に見えるもの(法律や制度、仕組みなど)の場合もあるし、気にもしていないのだけど 
    意識の中に植え付けられているものもある。 

  3. 無意識の制限
    「自分なんてこんなもの」
    「どうせ〜だから〜なんて無理」
    2とも関連してるけど、自分自身を
    過小評価したり、卑下したりすること。

ぼくたちは、
目に見える、見えない枠の中で 
日々選択し、行動している。 

自分で選び、行動しているように見えても
実はそういう枠によって

自然と無意識の中で
自分の行動の選択肢が狭められている。 
 

枠の外し方のすすめ

まずはとにかく今の状況を
ぜーんぶ忘れてみる。  
 
出来れば普段と違う場所で 
ゆっくり1人になれる時間をとってみる。  
 
出来れば自然の中がいい。 
自然の中に入ると 
五感が目覚めてくる。 
 
この五感が目覚める感覚が 
なによりも大切なのだ。 
 
〈あたま〉から〈カラダ〉の
純粋な感覚に近づいていく。

 
そして自分自身の中での
色んな条件を外していく。 
 


年齢とか 

仕事とか 

家族とか 

性別でさえも  

あなたはただ  

この世界を生きる 

なんでもない1人のひと。  
 

 
そんな風に
自分を全くの自由な存在として
イメージしていく。
そして問いかける。



あなた(わたし)は何をしたいだろう? 


枠がない世界で 

まったくの自由で   

安心な世界で

あなたは何を体験したい?  


一回で出てこなくていい。 
 
突拍子のないことでもいい。 
 
だってここに正解はないから。  
 

 
「あなたは何をしたい?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?