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プライドを捨てる

歳を重ねるごとにいろんな経験をぼくたちは積む。その一つ一つは、人生の大切な一部として刻まれていく。

経験は財産だけど、でもプライドはいいものもあるけど、時にその人の行動を邪魔をし、制限する。

プライドがあると、挑戦することをやめ、新しいものへの好奇心を失い、そして相手への共感をなくすことがある。

素敵なプライドは、誇りであり、自尊心であり自分自身、自分の才能や経験、仕事に対して、それを大切にする気持ちなんだ。

良いプライドと良くないプライドはどちらにベクトルが向いているか


自分の内側にそのベクトルが向いているのか。
それとも外側に向いているのか。

自分か他者か、どちらに向いているのかで、そのプライドを理解することができる。

自分自身に向いている時は、もっと成長したいと思い、自分を大切にし、自分を信じて行動し、挑戦することができる。自己肯定感の高い状態だ。

逆に、そのベクトルが他者に向かっている時は、相手と比べ、相手よりも優位に立ちたいと思い、他者と比較し、他者や社会の基準で行動する。自分自身という存在に自信がないからだ。自己肯定感の低い状態とも言えるだろう。

存在価値は誰かと比較するものではない

本来子どもだろうと、大人だろうと、どんな人も上下関係はない。でもそうやって人が作り上げた価値観や立場、権利などを利用し、それにすがり、自分の存在価値を得ようとしてしまう。

自分自身も変なプライドが働いてしまうことがある。これまでやってきた仕事を手放しても、その時の自分ややってきたことと、誰かを比較し、バカにしたり、自分の方がすごい、正しいと主張したりする。そして、そこに固執し、新しい可能性や自分の興味の芽をつんでしまう。

誰かと競い合ったり、目標を持つことももちろん大切なことだ。でも、まず前提として自分自身を認めて、受けいれてあげること。そうすれば、例え立場がなくとも、今仕事がうまくいっていなくとも、どんな時も自分でいられる。そんな人は強く、優しい。

自分のプライドを手放す方法

そんなプライドが出てきてしまった時はどうすればいいだろう?

まずはそのプライドに気づいてあげること。
あ、今自分は誰かと比較しているな、誰かのことを批判しているな、上目線で話しているな。そういうことにいちいち気づいていくことだ。
気づかなければ変化はない。

次に、その自分にまずはオッケーをあげること。
気づいた時にやりがちなのが、そんな自分を否定してしまうことだ。「あーまたやっちゃった」「また悪口いって俺はなんてひどいやつだ」そうやって自己否定すると、自分の存在価値を下げてしまい、比較して落ち込むスパイラルから抜けられない。
だから、言ってしまった自分のことも、オッケーを出してあげること。そんな自分も大丈夫って、自分で自分に丸をあげるんだ。

そして、「ぼくは(わたしは)なぜ比較してるんだろう?」と自分に問いかけてみる。
最初は分からないかもしれない。でもそうやってなぜだろう?って考える癖をつけていくと、自分の過去のことを思い出し、そのやっていたことが好きだったんだなとか、あの時傷ついたんだなとか、そういうことがふと思い出したりする。
そうやって自分自身に問いかける癖をつけていくと、自分のことがどんどん分かってくる。

それが分かったら、もう一つ質問だ。「じゃあどうなりたいのかな?」
そこまでいったら、もうほとんどそのプライドは消えていると思う。後はこれからどうなって行きたいか?そして、そうなるために自分はどんな行動ができるかを考える。最初は小さな小さな一歩でいい。

自分が子どもの頃や、特に仕事を始めたばかりの頃、こいつなんなんだろう?偉そうに!そんな大人の1人や2人はいたはず。でも、もしかしたらそんな大人にちょっと自分もなっていないだろうか?

かっこいい大人でいこうぜ!イェイ!

最後に質問です。

・今自分は命令や指示を上から目線でしていませんか?誰かのことを下にみたり、比較してバカにしたりしていませんか?
・上記のようになぜ思ってしまうのでしょうか?
・それをやめるために行動できることはなんでしょう?

子どもも大人も才能に溢れているよ!

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