2002年からの武術エッセイ
よっぽどのアホかもしれん。
このわたし・・・・・。
だって、ロケットやミサイルが飛んで、あわよくば宇宙旅行までしようなんてこの時代に武術がどうのこうのなんて、むきになってやってるんだから・・・・。
へたしたら、ピストルでBON!闇夜でグサッ!てやられたらおわっちゃうかもしれないのに、やれ技がどうの気がどうのなんて、ゆうちょうなことやってる。
でも、アホなんだからしかたがない。
ぜんぶひっくりかえして机の上にならべてみないことには気がおさまらない。
武術やってて、「精神的につよくなりました」「礼儀正しくなりました」「自分に自信がつきました」・・・・なんて言葉をきいても、わたしにはかんけいない。
そんなのはひとさまの言う事であって、そんなことは、わたしは知らない。
いまだに実体のわからない恐竜の化石を発掘するように、骨の一本一本、ていねいにていねいに掘り出していくだけだ。
そのうち、、想像がふくらんできて、全体はこうなんじゃないか、ほんとはこんな姿なんじゃないか?って、だんだんイメージが見えてきて・・・・・。
そんな感じになったら、もうやめられない、とまらない。
あとはひたすら、稽古するだけだ。
いや、稽古を知らぬ間にしてしまうんだ。
哲学?思想?礼儀?伝統?正統?
わからない。
なんのことだか、さっぱりわからない。
ほっておいても、私のこころとからだは、稽古をしてしまう。
武術の意味、存在価値について、いろいろかんがえてきてはみたけれど、ことばにしたときの違和感は、どうしてもぬぐえない。
それでも、そんなことはかんがえつかなくても、わたしは稽古をしてしまう。
めんどくさいから、さいきんはそんなことかんがえないようにした。
武術は、アホに徹してやるのがいちばんいいのかもしれない。
ただのめんどうくさがりのアホでいいや。
はっはっはっはっ!
2005年7月記す。
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