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武術的老子解説

原文

虚、極まるに至り、静、篤く守る。
万物、並び作り、吾以ってまた観す。
それ芸芸の物、各、その根にまた帰る。
根に帰るを静という。
これ復命という。
常を知るを明という。
常を知らずは、みだりに凶を作る。
常に容を知る。
容、すなわち公。
公、すなわち王。
王、すなわち天。
天、すなわち道。
道、すなわち久。
身を没し、あやうからず。

解釈

受け身であることが極まると心が静かになる。
私は全てのものが同時に生じているのを観る。
また、生じたものは根本に帰っていく。
根本に帰ることを「静か」という。
その根本を「命がまた来るところ」という。
自然界の根本原則を知ることを「明らか」という。
その原則を知らないと、やたらに不幸を招く。

常に受け入れることを知る。
受け入れれば、それは私のものではなく全体のものになる。
全体を司るのは王である。
王は天に寄りそう。
天は道の原則に従う。
道は永遠に続くものである。
受け入れることに徹して、我を出さなければ、生涯安心である。

コメント

攻防においては常に受け流すことに徹する。
怒りに走って相手にぶつかれば、そこを拠り所として、さらに相手は攻撃をしてくる。こちらがブロックすれば、さらにそこを拠り所として相手は攻撃する。こちらのラッキーパンチが当たらなければ、延々と攻撃は止まない。
武術は我を張った殴り合いではない。
受け流すことで、相手に攻撃の支点を与えない。
支点がなければ、相手はふわふわと漂うだけだ。
こちらが我を張らなければ、相手も我を出しようがない。
お互いに無我ならば、それは相手を「制圧する技」ではなく、「調和する動き」となる。
それはとても静かな動きだ。



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