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2002年からの武術エッセイ

だいじなのはね、これね、これ!
ピシュッと行く。
ね、これ、こういうふうに、ね、ピシュっと、これ、ここが大事ね、ここ・・・・。
これは、だめね、これはだめなんだ。
こんなふうにいくとね、力が分散されてしまう。
そうじゃない、キュッと、ピシッとね、こういうふうにいかなきゃ!

う~ん、いいにはいいんだけどね、もうちょっとね、キュッとね、ピシッといくとよくなると思うね。
いいにはいいんだよ、でもね、もうちょっとね、なんていうか気合をいれてね、ピシッ!
ピシッといくとね、もっとよくなると思うんだよね。
もっと、ピシッとね!

そうそう!そう!ピシッとね!

師匠が技を教えてくれるときの説明の仕方を文章で書くとこんなふうになる。
どこにも「発勁」とか「気」とか「経絡」なんて専門用語は出てこない。
「力学的には」とか「物理的に」とか全然出てこない。

そんな理論的な説明や、丁寧にいろんな言葉を並べた説明のしかたよりも、「ピシュ!」の一言のほうがより丁寧な説明だと思う。
言葉は、ときとして、多く並べれば多く並べるほど、わからなくなるときがある。
これは武術にかぎったことではない。

仕事や、人生が充実しているとき、笑顔で「忙しいね~」なんて言う一言。
これは多くの気持ちを語っているでしょ?
何もかもいやになって、ため息混じりに「うれしくて涙がでるよ」なんて一言、その人の人柄さえも現すでしょ?

言葉って、勘違いしてる人、多いと思うけど、多く語れば語るほど、自分の意志とか気持ちが伝わらなくなっていってしまうものなんだよ。

だから、自分のいろいろな思いや、複雑な気持ちなんかを伝えるときはさ、単純な言葉であればあるほどいい。
万感の思いを、できるだけ素直に表したいなら、言葉の中でももっと単純な擬態語や擬声語をひとこと・・・・思いをこめてつぶやけばいい。

大人達は、あまりにも多くの屁理屈と経験談を若者達につぶやくものだから、結局、子供は何をどうしたらいいかわからなくなり、とにかく理屈だけ並べていればいいのだろうという甘い人間ができあがる。

2005年3月記す。

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